理想主義のリアリスト。

ヘンなことを書いているな,と訝しく思われる向きもあろうか,と。


 もちろん,意図して矛盾する要素を並べてみたわけです。


 ではありますが,ファースト・チームを預かる指揮官に求められる要素を考えてみると,矛盾しているはずの2つの要素を巧みに使い分けているひとが多いように思えるのです。


 まず,マクロ的な部分を考えてみますと。


 どういうフットボールを狙い,ピッチに描こうとしていくのか,などの明確なビジョンを持っていないようでは,恐らく指揮官が描くイメージへとファースト・チームを近づける,チームを進化させることはできないでしょう。しかし,指揮官が描くビジョンを実際にチームに落とし込む過程で,チームが違和感を持ったとすれば,その違和感が大きくなることでチームを最終的に最悪の事態へと導いてしまう可能性も0%とは言えません。そのときに,どう現実的な対応をするのか。理想を理想として位置付けながらも,現実的な対応をどのように挟み込み,折り合わせていくか。コーチング・スタッフの能力が実際に試される局面だろう,と感じるのです。


 次に,ちょっとミクロ的な部分から考えれば。


 例えば,欧州カップ戦の決勝トーナメントを考えてみましょうか。


 “ホーム・アンド・アウェイ”制を敷いてはいますけれど,やはり「カップ戦」であり,先手を打つことが非常に重要ですし,時にはリアリスティックに戦うことが求められます。そんなときに,柔軟にチームの攻撃スタイルをカップ戦的なものへとアジャストしていけるのか。昨季躍進を遂げたPSVアイントホーフェンフース・ヒディンクは,ただ攻撃的なフットボールを指向するだけでなく,安定した組織守備,という要素を戦術的な基盤としていたように感じます。その点,バルサを率いたフランク・ライカールトは徹底してバルサのストロング・ポイントを押し出すことにこだわり,相手のストロング・ポイントを消す,という側面を結果として軽くしてしまった,という見方も成り立つように感じます。


 当然,攻撃的なスタイルを貫くことは称賛されて然るべきだ,と思います。


 ただ,“ビッグイヤー”を現実的な射程に収められるクラブを率いているのであれば,その目的のために「必要とされる限りにおいて」現実的な戦略をとることも求められるのではないかな,と。その意味で,なぜライカールトバルサチェルシーに対峙するにあたってスタイルを微調整することなく,リーグ戦のようにストロング・ポイントを押し出そうとしたのか。こういう部分は恐らく本当のところは決して分からない話でしょうが,最も興味深い部分かな,とも思うのです。


 攻撃的なフットボール,と言うと何かわかったような気になるけれど,求められている要素は案外変わらないはず,と思います。この点は,湯浅健二さんとか木村浩嗣さんの言葉を借りてここでも結構書いていると思います。その意味で,誰もが“トータル・フットボール”を最終的な到達点に設定しているだろうことはイメージできるのです。
 ただ,そのために求められている要素を提示する,その方法がリヌス・ミケルス以来システマティックに整備されたのがダッチ・スタイルであり,その系譜に属する指揮官が活躍している,というニュアンスでこちらのコラムは読み解くべきなのかな,と感じます。そして,同じ系譜に属するはずの指揮官でも,勝利へのアプローチが理想主義的なのか,それとも現実的な部分に多く重心をかけているのか,でディテールが異なっている。個人的には,それぞれの指揮官によって異なる(ように感じられる)ディテールが面白いと思いますし,どうしてそうなるのか読み解いてみたいな,と思うところです。
 杉山さんのことですから,そのまま読んでしまうと,いつものように「またこのヒトは・・・(略)」という話になりかねないのだけれど,ちょっとこのコラムを裏読みする(その先を想像してみる)と結構面白いな,と思うのです。