仰木さんの訃報に触れて。

いまにして思えば,ですけれど。


 オリックス・バファローズ監督就任時の会見で,どこか覚悟をしているかのような感じを受けたのは間違いなどではなかったようです。仰木さん自身も自分の病と闘うのではなく,グラウンドで相手チームに戦いを挑み続けることを選んだのかな,とやっと納得しました。


 大阪近鉄バファローズを率いていたときも,そして名門阪急を母体とするオリックス・ブルーウェーブを率いていたときも「野武士集団」と言うか,「個性派集団」を巧みにチームとしてまとめ上げているな,という感じがしました。いわゆる大砲主義に偏っているわけでもなければ,“ショート・ベースボール”に徹しているわけでもない。その両極をしっかりと持ち合わせているようなチームを組み上げていたように思うのです。ピッチング・スタッフがしっかりとしていたことと,バランスを持っていた攻撃陣。ある種の最適解を引き出していたチームだったのではないか,と思うのです。


 指導面では,仰木さんの特徴がよりはっきりと出るようにも感じます。


 決して,自らのイメージに選手を無理に当てはめることはせず,むしろ選手のクセのようなものを積極的に認め,個性,あるいは最大の武器にまで引き上げようとする。もともと培ってきたリズム感のようなものがクセにあるのだとすれば,そのクセを無理に矯正してしまえば,ポテンシャルを埋もれさせることにもなる。そんな部分を感じておられたのかも知れません。大阪近鉄時代の野茂英雄選手,オリックス時代のイチロー選手は仰木さんの慧眼を示す,また指導・育成方法が間違っていなかったことの証左だと思います。


 仰木さんの存在によって,間違いなく80年代後半〜90年代のパシフィック・リーグは面白いリーグであり続けた。そう私は感じています。


 スタジアムで見せる,厳しい「勝負師」としての顔とは異なり,自らの教え子の活躍を見にアメリカのスタジアムを訪れていたときの顔は,どこから見ても優しい「師匠」という顔でした。セーフコ・フィールドダッグアウトイチロー選手と談笑している場面をTVで見たことがありますが,師匠と弟子,という以上に何か野球少年同士が話をしているかのような感じもあったような。


 グラウンド外では,いろいろな逸話を残された方だ,とも聞き及んでいます。そんな人柄に惹かれる優秀な指揮官が天に召される。言いようのない寂しさがあります。