繰り返す失敗。
あまりに“ビジネス・オリエンティッド”なクラブ運営を続けていれば,当然の帰結として監督交代を繰り返すことになる。
タイトルには「失敗」と書いたけれど,ある種の「必然」ではないか,と感じます。
今回はこちらの記事(日刊スポーツ)をもとに書いていこうか,と思います。
きつい表現になりますが,「マーケティング主導で選手を獲得したところで,チームが強くなるとは限らない」し,指揮官にあっては理想主義を貫くことよりも,「理想を隠し持ちながら現実主義的な戦術を理想主義的な戦術へとハンドリングしていく」ことが求められているはずです。その両方が決定的に欠けているから,レアル・マドリーは迷走を繰り返すのではないかな,と。
ルシェンブルゴが就任した当時は,レアルに規律とファイティング・スピリットを再びもたらし,チームのコンディションは間違いなく上向いていたように思います。いかにマーケティング主導とは言え,非常に高い能力を持った選手を多く擁するチームですから,彼らの能力を巧みに束ねることさえできれば,安定した戦いが可能になるはずだったのです。少なくとも,昨季バルサを最後まで脅かしたことを思えば。
しかしながら。
木村浩嗣さんのコラム(gooスポーツ - NumberWeb)にもあるように,2005〜06シーズンのレアルは攻撃スタイル,あるいは守備戦術が機能主義的に説明できないという状況に戻ってしまった。ちょっと木村さんのコラムから引用しますと.
レアル・マドリーの攻守を描写するには選手名が不可欠であり、バルセロナには不要。バルセロナの攻守はパターン化され誰がプレーしてもほぼ機能するが、選手任せのレアル・マドリーの戦い方と成果は、誰がプレーするかに決定的に左右される。組織がタレントに優先するバルセロナ、タレントが組織に優先するレアル・マドリーという色分けもできるだろう。が、これはレアル・マドリーの方がタレントを発揮しやすいという意味ではない。
どんなチームであっても,高いポテンシャルを持った選手を多く抱えたい,当然の欲求でしょう。
しかし,そんな選手のパフォーマンスを最大限に引き出し得る基本戦術を採用しているかどうか。チームが持っている基本戦術にフィットするかどうか,そして,その基本戦術をより高い次元に引き上げ得る選手かどうか。選手補強にあっては当然あるべき視点でしょう。
しかし,その視点がレアル・マドリーにあるか,と考えると疑問が残る。
指揮官の問題もそうですが,チーム(保有戦力)を機能主義的に再構築する必要性も当然ながら視野に入れておかなければならない。
木村さんが指摘する「設計図」を含め,レアルが抱える問題は相変わらず大きい,と言わざるを得ないようです。