初戴冠に思うこと(ヤマザキナビスコ・カップ)。

まず,スポーツ・メディアがどう評価しようと“Good Game!”でした。


 確かに,120分経過時点でのスコアは0−0。


 「互いに決め手を欠いた」という書き方は,客観的な数字を見れば決して不当ではないのかも知れません。けれど,120分間,必死になって相手の攻撃に対する守備応対を繰り返した,鍔迫り合いを繰り返してきたという見方も充分に成り立つはずだし,「眼前にあるカップを何があっても奪取する」,それ以上に「いま対峙している相手に,何があろうと負けたくない」という強い意思が真正面からぶつかり合っていたからこそ,張り詰めた空気がピッチを支配し続けた120分間だったのではないか,とワタシは感じました。ある意味,カップ戦決勝という舞台に相応しい空気が支配していた,と思うのです。足をつってしまう選手が多く見られたことだけを取り上げてみても,「チーム戦術」を超えた何かを選手たちは感じ,その何かが選手を突き動かしていただろうことが理解できます。


 カップの行方を左右したものは,ただひとりの選手のシュート・コースと,そのシュート・コースをしっかりと読み切ったゴーリーの洞察力。
 逆に言えば,今回のカップ戦決勝における両クラブの差はこれほどまでに「紙一重」だった,ということになるのかな,と。確かに,大きな意味を持ってしまったPK1本目だったけれど,120分間を戦い抜いたことは間違いなく誇っていい.そう思います。


 そして,今回初戴冠となった千葉に関しては,カップを掲げるだけのクオリティを持ったクラブだと,ひとりの“フットボール・フリーク”として思います。ある意味,「走る」ということにフットボールの魅力の原点を感じさせ,チーム戦術とは戦力を最大限に引き出すためのものであって,選手を当てはめるべきものではない,という「戦術論」の本質のようなものを感じさせる,そんなクラブになってきているように思うのです。その基盤を作り上げた名将が,ついにカップを掲げる。ちょっとした感慨があります。