他力の要素と、自力の要素と。

スポーツ・メディアは時に,「客観的なもの」を重視しすぎるのではないか。


 そう思うときがあります。


 最も分かりやすいのが,「自力優勝の目がなくなった」とか,「勝ち点あと・・・点で優勝ライン」であるとか。“データ”をもとにするならば,確かにそういう見方にも一定の理があるのだろう,と承知していますが(また,数字の部分を楽しんでいることも否定しませんが),リーグ戦を戦っているのはコーチング・スタッフ,選手を含めて生身の人間であり,どういう結果が出るのかは,キックオフを告げるホイッスルがレフェリーによって吹かれ,タイムアップを告げる長いホイッスル・ブローがピッチに響くまで分からないのです。


 そして,リーグ戦はそういう相手があってはじめて成立するものでもあります。


 昨季までの「瞬発力」や「爆発力」を問われる,前後期制ではありません。間違いなく,多様な要素によって形作られる「総合力」が問われる本格的なリーグ戦となった。だからこそ,過剰にテーブル上位を意識することなく,目前のゲームに集中して戦っていく,その繰り返しによって「高み」は得られるものだと信じています。いままで「勝ち点差7」が鬼門と言われてきましたが,それは恐らく昨季以前の「前後期制」のイメージを引きずってしまっていたからではないでしょうか。流れをつかんだとするならば,その流れをどうあろうと自分の側につなぎ止めておかなければならない,と。


 長いリーグ戦にあっては,そういう意識を過剰に持つことは「諸刃の剣」になるように感じます。ひとつひとつのゲームに対して丁寧に準備を重ね,「勝ち点3」を奪取するための最大限の努力を繰り返していく。その過程でリーグ・テーブルの順位は上がっていくものだろうと思うのです。


 リーグ戦がなぜ魅力的か,と問われれば,「勢いだけでは走り抜けないし,だからと言って他力本願な姿勢だけでも勝ち抜くことができない。他力な部分と自力の部分が複雑に絡み合っているからこそ,面白いのではないでしょうか」と,相手に逆に意見を求めるように答えると思います。
 そして,本当にそんな状況になってきました。リーグ戦はこれだから面白いのだ,と思います。