美しさと強さと。

本来,単一の評価軸に並立させてはならない概念だろう,と個人的には感じます。


 「強さ」とは,ファイナル・スコアやリーグ・テーブル上の順位など客観的な数字によって明確に表すことができるものの,「美しさ」というものは明らかに個人の主観に委ねられる概念だと思うからです。その意味で,優先順位は「強さ」に置かれるべきだろうと思います。FAカップ天皇杯などに代表されるノックダウン・スタイルのトーナメントでは,「結果」が非常に重要な意味を持ちます。「勝ち続ける」ことこそが国立霞ヶ丘,あるいはウェンブリーという決勝の舞台に立つための唯一の条件である以上,極論すれば1−0であろうと5−0以上のファイナル・スコアであろうとあまり意味を持たず,勝利を収めた,という「結果」が最も重要な要素となる。
 それゆえに,カップ戦では「現実主義的な戦略」をどれだけ徹底できるのか,という部分が問われたりもします。昨季の欧州カップ戦(決勝トーナメント)においてPSVアイントホーフェンやACミランが躍進を遂げた一方で,バルセロナが早い段階での敗退を余儀なくされたことは,本来バルサが持っているストロング・ポイントを現実主義的な方向へ若干の方向転換を図るべきところを,リーグ戦を戦っているかのようにストロング・ポイントを相手にぶつけようとしてしまったことにその原因がある,と感じています。


 そもそもフットボールは採点競技ではなく,相手よりも多くのゴールを奪うことが勝利への条件です。ならば,優先順位は間違いなく「強さ」が上であり,その強さを見せつけることができなければすべてが無意味に帰してしまう側面も確かにあります。


 しかしながら。


 タイトルに対置したもうひとつの概念,「美しさ」もフットボール,特にプロフェッショナル・レベルでは重要な要素ではないか,と感じます。そんなことを考えるきっかけとなったのは,木村浩嗣さんのコラム(スポーツナビ)です。そこで,今回は木村さんのコラムから,このことに関してシロートなりの考えをめぐらせてみることにします。


 木村さんは,端的に「美しさ」と「強さ」が同居しているスタイルとして,ライカールトバルサのスタイルを示しています。その部分を引用すれば,


 これまで漠然とながら、クライフのドリームチーム型:戦略の制約が少ない、広いスペースとボールを支配する、ゴールチャンスが多い、自由なポジションチェンジ、意外性がある、個人技が輝く、少人数のコンビネーションプレーに創造性がある、を美しいサッカーの見本だと考えていた。・・・だが、いわゆる攻撃的なこのタイプは守備の堅さに欠け、美と脆さが同居していた。
 ところが、ライカールトは攻撃のレベルを下げずに守備の厳格さを備えた“美しく勝利する”チームを作り上げた。クライフ型に「スピーディー、運動量が多い、目まぐるしいポジションチェンジ、個人技が組織の中で輝く、集団として創造性がある、アグレッシブで忠実な守備、攻守の切り替えが早い」などのキーワードを加え、私に守備の美しさと集団の美しさ(“機能美”とでも形容できようか)を再確認させてくれた。


と書いておられます。なるほど!と思いました。


 フットボールに関わる「美しさ」をイメージするとき,「個人能力」が背景になっていることが多いな,と思うのです。イマジネーションあふれるパス・ワークなどを想定しても,パス・センス,そしてそのパス・センスを最大限に生かすテクニックなど,「個人」に帰着する要素が多いように思うのです。実際,そういうプレーはひとを魅了するけれど,木村さんが言うように脆さをも合わせ持つように思います。個人能力に多くを依存するということは,個人を分断する戦略を相手がとってきた場合はチームのストロング・ポイントが消し去られてしまうこととほぼ同じ意味を持ってしまうようにも思います。
 その高い個人能力を巧みに組織力に引き上げることが,モダン・フットボールの重要な要素でしょう。鋭いパス交換,そして積極的なポジション・チェンジを可能にするためにチーム全体をコンパクトに保つこと,相手が保持するボールを奪取するためのファースト・ディフェンスの方法論の整備,そしてどのようにしてボールを支配しながら相手ゴールにまで持ち込むか,が木村さんも言うように戦略の根幹でしょう。その戦略を現実化するために,保有戦力をしっかりと観察・分析し,チームに最も適合的なシステムを“ワンオフ”で組み上げていく。


 そのチーム構築アプローチが実戦の舞台で個人能力と融合する形で,機能美として表出していくのだろう,と感じます。


 最後に。


 木村さんは,いまのバルサは美しいけれども勝ちきれない,という表現をされています.ワタシは,その見方にもうひとつ付け加えたいと思います。
 「機能美」をピッチ上で90分間プラス存分に表現することができるならば,勝ち切ることができるはずだと思うのです。それは言い換えれば,自らのストロング・ポイントを最大限に引き出しながら,同時に相手の嫌がるフットボールを展開することと限りなく同義になるのではないでしょうか。今季の浦和はその意味で,決して「機能美」を感じさせるゲームは多くはなかったように思うけれど,リーグ戦終盤にしてチームにハーモニーが戻ってきたように感じます。高い個人能力を持っていることは十分に理解できる。問題は,その個人能力を巧みにまとめ上げる“戦術”であり,その戦術を共有できることだろうと思います。そして,先のエントリで触れたように,「自律性」という戦術眼の共有に必要不可欠な要素が出てきた。「美しさ」を取り戻す(あるいは,より高い機能美を見せてくれる)時期は近いのではないか,と期待しています。