Derby Match.

カタカナ表記の“ダービー”という言葉は,あまりに安売りされすぎたように思う。


 “Derby Match”とは,「リーグ戦の順位表に関わりなく,決して敗北の許されない非常に重要なゲーム」と,本来の意味を大きく離れてでも意訳すべき言葉だろう,と思う。


 「リーグ戦」を見据えれば,ひとつひとつのゲームは当然同じ重みを持つ。勝ち点3を奪取すること(そして最低でも,勝ち点1を逃さないこと)こそが達成すべきタスクであり,その積み重ねの先に高みが存在する。その意味で,各節は等しく重要性を持つ。


 しかし,重大な例外が存在する,と感じる。


 ひとつは,「上位との直接対決」だと思う。ひとつのゲームに勝つことで,勝ち点3以上を獲得することは当然できないが,視点を変えれば上位に位置するクラブから勝ち点3を奪い取った,と言うこともできるように思う。その意味で,「勝ち点3」以上の意味を持つ。ケースによっては勝ち点6に相当し,あるいはそれ以上に大きい意味を.上位クラブとの勝ち点差を縮め,「高み」を現実的な射程に収めるためには,「勝ち点3」以上の重みを持つゲームを制する必要が必ず出てくる。


 もうひとつが,“Derby Match”であろう。


 こちらに関しては,「リーグ戦」という枠も必要なければ,ましてやリーグ・テーブルなど関係ない。あえて愛称で表記するが,“ガンナーズ”と“スパーズ”との間で戦われるノースロンドン・ダービーを例に引くまでもなく,クラブ,サポータのプライドがぶつかり合うゲームだと言っていい。逆に言えば,挑みかかる姿勢が不足してしまえば,相手の「特別な意味を持つゲーム」への高いモチベーションにさらされ,足下をすくわれかねないゲーム,ということが言えようか。


 当然,力関係を見せつける,ということもあろう。それ以上に,クラブ,サポータ,そしてそれらが根付く地域のプライドを見せつけるために勝たねばならないゲーム,ではなかろうか。そんな,本来的な意味での“Derby Match”が成立する条件を備えていると思う。歴史を積み重ねていくうちに,“Derby Match”としての重みを増していくに違いない対戦カードではあろう。ただ,今節はそんな理由抜きに勝たねばならないゲームである。7−0というファイナル・スコアと引き替えにしてしまったものを,ムダにしないために。そして,「高み」を再びうかがい,分かち合うために。