哲学者ですか・・・。

褒め言葉と受け取って良いのか,それとも他意を酌むべきか。


 少なくとも,額面通りの評価ではないのかな,という言葉ではありますね。


 タイトルにも掲げた「哲学者」,という言葉を見つけたのが,中倉さんのコラム(スポーツナビ),その2ページ目でありまして。ちょっと引用してみますと。

 ある時、インタビュー記事の撮影のためにサッカーとは無縁のカメラマンと仕事をして、こんなことを言われたことがある。「サッカー選手とか、サッカー関係者って哲学者みたいですよね。新聞を読んでいると、『これもサッカーだ』とか、『サッカーの神様が決めたこと』とか、『何が起こっても不思議じゃないのがサッカー』とか、悟り切った発言ばかりが目に付きますよ」。なるほど、言われてみればそうなのかもしれない。


 確かに,フットボールを見続けているわけではないひとにとっては,サポータやフットボール・フリークの行動,言動にはちょっとした哲学的な部分を感じるのかも,とは思いますね。ただ,これらの言葉がフットボールの持つ魅力を端的に言い表していることも,また確かなことではないかな,と感じます。


 楕円球ほどではないけれど,偶然性が大きくゲームの帰趨に関わっている。だけど,その偶然性をただ待っているだけでは,決して勝利の女神は微笑んではくれない。偶然を手中に収めるために,必死になってロジックを積み重ね,表面的にはムダにも思えるような努力を繰り返していかなければならない。・・・日々の生活にだって,こんなことがあるのではないでしょうか。だからこそ,フットボールは魅力を放っているのだろうし,その魅力に惹きつけられるひとがいる。そして,確かにフットボールを見ているはずだけれど,その向こう側に見ているものはひょっとすればフットボール以外の「何か」であるかも知れない。哲学的な言葉が出てくる背景とは,ひょっとすればこういうことかな,と考えます。


  すべてを受け止め,それでも前を見据える.それってつまり,クラブ,そしてフットボールを「・・・」(適語補充のこと)ということなのだろうと思います。