不思議な設計家。

カーサ・ブルータスを読み終わってみても,タイトルに掲げた印象は変わりませんでした。


 むしろ,その印象はより強いものになっていったようにも思うのです。


 9月号は特別号として,先ごろ亡くなられた日本を代表する建築家のひとりである,丹下健三さんの特集が組まれています。そこで,丹下健三さんのことについてちょっと書いてみようかな,と。


 カーサ・ブルータスでは彼の手になる作品が紹介されていますが,個人的に考える代表作としては,最近の作品では新宿パークタワー国連大学東京都庁舎が挙げられるかと思います。そして,もう一方の代表作が,国立代々木競技場(国立屋内総合競技場),広島ピースセンターや東京カテドラルではないか,と感じています。


 さて。最初に挙げた作品,正直言うと私は苦手です。なぜか.同じような感じの建築をどこかで見たような感じがするし,必要以上に存在を誇示するかのような「威圧感」があるからです。丹下スクール(東大丹下研究室)出身者である建築家・槇文彦さんはインタビューに答えて,

 「丹下先生はモダニズムの言語と精神を用いて、サブライム(至高性)を持った空間をつくることができた数少ない建築家だったと思います。・・・あのふたつの建物(国立屋内総合競技場と東京カテドラル)には丹下先生が目指したサブライムが集約されています」


と,私が感じた「威圧感」の根っこにありそうなものを説明してくれました。


 そうなってくると,何となく説明できそうな気がしてきました。都庁舎やパークタワーから感じる「威圧感」は,ある意味海外の大聖堂から感じる威圧感と似ているように思うのです。違う言葉を使えば,「権威」的なものと言いますか。で,最初に挙げたもの,というのはどちらかと言えば「世俗的」ですよね。世俗的なものに「権威」を持たせるかのような意匠を使っているから「威圧感」を感じたのではないでしょうか。


 対して,体育館とか,祈りの場所は少なくとも「世俗的」ではないですよね。そういう場所には「至高性」は親和性が高いと思うし,それだけに違和感や威圧感が薄れていたのかな,と。それだけに,私はこれらの建築,結構好きだったりします。


 最初は,単純に印象が異なる作品を残している建築家だと思っていたから,タイトルに掲げたように「不思議な設計家」だな,と思っていました。でも,槇さんが「至高性」というキーワードを出してくれたことで,ある部分では作品群に一本の線が通った。でも,そのキーワードと「世俗性」の強い建築との親和性はどれほどあるのかな,という部分はやっぱり残っています。


 一概に「至高性」自体を否定するものではないし,コルビジェなどではできなかったことだろうと思うから,確かにすごいな,とは思うのです。だけど,敢えて「至高性」を取り除いておかないといけない建築,というのも存在するのではないかな,とも同時に思う。それでも,丹下さんの建築にはモダニズムサブライムという要素がしっかりと同居している。


 やっぱり「不思議」なひとに,私には思えるのです。