Walk on Together.

また,ちょっと難しい話をしてみようかな,と。


 古書籍の部類に入ってしまいますが,昔ロンドンで“CLUB COLOURS”という,イングランドのプロ・フットボールクラブ(現存しないクラブを含む)のユニフォームからクラブの歴史を紐解く,という本を見つけ,今も手元に置いています。
 現在,イングランドにおける最高峰リーグであるプレミアシップに名を連ねているクラブはもちろんのこと,リーグ・チャンピオンシップ,リーグ1やリーグ2に在籍しているクラブも網羅していて,ロスマンズが発行するイヤーブックと並んでちょっと手放せない本になっています。この本に載っている各クラブの年表を見ると,興味深いこと(しかし,ある意味では当然のこと)が見えてきます。すなわち,大きなスパンで見ればどんなクラブでも程度の差こそあれ,降格という悲劇と昇格の歓喜を味わっている,という事実です。


 一方で,イングランドでは親子3代にわたってひとつのフットボール・クラブのシーズンチケット・ホルダーであり続けていることが誇りである,というひともいる。このことが何を意味するか.ちょっと考えてみてもいいかな,と思うのです。


 相変わらず長い前置きで恐縮ですが,なぜ,こんな話をしようと思ったか。


 J2,JFLの再編も Jリーグ鈴木チェアマン(共同通信−スポーツナビ)という記事を読んだあとに偶然,サッカーネットのシーズン・プレビュー(リーグ・チャンピオンシップ版)で“コヴェントリー・シティ”や“シェフィールド・ウェンズデイ”という懐かしい名前を見つけたから,だと思います。


 前回,「“Matchday”が示すもの。」とタイトルを付けたエントリにおいて,イングランドではフットボールが日常にしっかりと織り込まれている,と書いたかと思います。その典型的な例が,「親子3代にわたるシーズンチケット・ホルダー」だったりするのだろう,と思います。
 もちろん,愛すべきクラブが降格の憂き目に遭えば,奈落の底へ叩き落とされたかのような気持ちになります。それでも,彼らは決してシーズンチケットを手放そうとはしなかったのでしょう。むしろ,クラブをできるだけ早くトップ・リーグに戻すべく,あるいは慣れないリーグを戦う選手たちを鼓舞しようとスタジアムに足を運び続けることを選んだのではないでしょうか。また同時に,「強いクラブを見る」こと以上に「クラブとともに歩き続ける」ことを大事なことだと思っていたから,シーズンチケットを長く持ち続けられたのではないでしょうか。


 プロフェッショナルである以上,どんな状況にあっても「結果」を貪欲に追い求めるべきことは言うまでもないことです。サポータ,ファンにとっても,クラブが最高峰のリーグで強さを見せつけることは至上の喜びであるとも思います。「より高いところへ」。そう思わないひとは,いないはずです。


 しかし,強さだけを求めているのか,と問われれば,私自身は恐らく,「違うと思います。」と答えるかも知れません。


 クラブとともに歴史を重ねていくこと。その中で「ともに歩いている」という実感を持つこと。


 そんなことも結果同様に,あるいは結果以上に大切なことではないかな,と思っているのです。恐らくクラブ・メンバーになっていたり,シーズンチケット・ホルダーであり続けているひとは,クラブが持っている強さにも魅力を感じているだろうけれど,同じように「強さ以外の何ものか」(ひとそれぞれ,何を感じるか,は違うと思うけれど)にも強く惹きつけられて,そのクラブとの“オンリーワン”の関係を結び続けているのだろう,と思うのです。


 現在,J2やJFLを追い掛けているひとにとっては,鈴木チェアマンの発言はともすれば衝撃的なものに映るかも知れません。でも,降格という悲劇を経験してもなお,自分が愛するクラブと「ともに歩き続ける」という気持ちを持ってくれるひとが増える−それは,フットボールが日常に織り込まれているひとが増えることでもあると思いますが−きっかけになれば,と(きれいごとであることは承知していますが)思っています。