upsetとpotentiality。

基本的には,「よそさま」の話ですからね。


 90分間プラスしっかりとTVを見ていたわけではないので,短信の方向で進めますと。


 東京ヴェルディ1969−レアル・マドリー戦(国際親善試合),であります。


 フレンドリー・マッチですから,ファイナル・スコアなどは基本的に興味ないのですが,3−0というファイナル・スコアは確かにインパクトがあるところです。そんななかで,頭に浮かんだ単語がタイトルに掲げた2つの言葉だったのです。


 リーガ・エスパニョーラをよく見ているひとで,しかもレアル・マドリーに好意的な感情を持っているひとにとっては,受け入れ難いスコアかも知れないし,“upset”だと思うかも知れません。まあ,アップセットという表現を使うべき試合ではありましょう。
 ありましょうが,反対側から見れば,「レアルを相手に自分たちのフットボールを徹底的にアピールしてやる」,という意思が見え隠れするのです。リーグ戦では下位に沈んでいるものの,カップ・ウィナー(天皇杯覇者)でもある。ならば,その強烈な意思を実現できるだけの潜在能力を持っていてもおかしくはない。さらには,勝負事が過去の実績などだけで決まるわけではない。
 いろいろな条件が重なって,今回のリザルトになったのだろうと思います。


 戦力だけではないし,ましてや戦術だけでもない。


 しっかりとした準備と,準備した要素を90分間プラス実行できるだけのメンタル・タフネスや高いモチベーションといった「不可視的なもの」が必要,ということでしょう。でなければ,最後の要素である「偶然性(ある部分では幸運)」を引き寄せることはできない。レアル・マドリーの敗戦が示すものは,「フットボール」の本質,と言ってもいいような結構普遍的な内容を含んでいるように思えます。もちろん,今回の対戦相手にとっても例外ではないはずです。