“Matchday”が示すもの。

今回は,ちょっと難しめのことを書いていくことにします。


 では,いつものようにイングランド絡みのマクラからはじめますと。


 イングランドでは“フットボール”が日常にしっかりと織り込まれていますが,彼らは「人気があるから」とか言ってゲームを見に行くのでしょうか。“メンバーシップ”とか,“シーズンチケット・ホルダー”という言葉があるくらいだから,そういうことはあまり考えられない。


 以前にも書いたことがありますが,私はポートベローに程近いところに住んでいたことがあります。
 チェルシーの本拠地であるスタンフォード・ブリッジにチューブ,あるいはバスで楽に移動できる場所です.それでも,スタンフォード・ブリッジの空気を実際に感じることはできませんでした。なかなか敷居が高かったわけです。競技場に向かう通り沿いには,試合予定が掲示されるボードがあります。そのボードを見るときには大概,“SOLD OUT”という言葉が掲げられていました。ホワイト・ハート・レーンもハイブリーも,そして当時はまだプレミアシップに名を連ねていたアップトン・パークにも同じ印象を持っています。


 だけど,今にして思うこととしては。


 プレミアシップか,あるいは下部リーグのチームかという部分で入場者数に違いは出て来るとは言えるけれど,スタジアムに足を運ぶ人間に共通するのは,「クラブを愛する」という気持ちでしょう.ひょっとすれば,プレミアシップのゲームよりもそんな感情が明確に表れているのは,下部リーグのゲームかも知れません。
 ともすれば,欧州のフットボールを見ているひとたちはトップクラスとされるリーグだけに注目しがちです。純然たる“フットボール”だけを見れば,それは当然のことかも知れないし,それ以前の問題としてメディアも2部以下の動向は追いかけないから,どんな雰囲気かをつかむことも難しい,とは思います。

 それでも。


 本当に参考にすべきなのは,「下部リーグのクラブと地元との関係」であり,“Matchday”という言葉が持つ意味合いではないかな,と思っています。
 そんなことを考えるきっかけになったのは,増島さんのJ2リポート(masujimastadium.com)なのですが,正直言えば増島さんがリポートの最後に書いていた疑問はスタジアムに足を運び続けている人間ならば,自然に解いていることだろう,と思うのです。


 そこで,私たちが日頃見ているリーグ戦に当てはめて,具体的に増島さんの疑問を解いてみることにします。


 端的に言ってしまえば。


 “Matchday”という言葉は,ただ“ゲームのある日”ということを意味するものではない,と思っています。
 この言葉の裏には,クラブとの関係を「オンリーワン」だと思っているひとがいるはずです。フットボールがしっかりと日常に織り込まれ,土曜日(あるいは日曜日であったり,水曜日であったりするのだが)を待ち遠しく思うひとが。そして,スタジアムという空間で喜怒哀楽を共有しながら,クラブとともに歴史を重ねていく。そんなモロモロを含んだ言葉が“Matchday”であり,以前エントリのタイトルに使わせてもらった“When Saturday comes.”というフレーズなのだろう,と思うのです。
 そして,サポータ,ファンに限らずスタジアムに足を運ぶすべてのひとたちが,リーグ戦という「基礎構造」を作り上げ,「代表チーム」というリーグの権威を背負うべき上屋構造物が基礎構造の上に出来上がる。決して代表だけが独立しているわけではない。


 原点は,間違いなくリーグ戦にある。


 増島さんが感じた「豊かな気持ち」というのは,サポータ,ファン,もちろんファースト・チームの選手やスタッフなど,いろいろなひとが思いを持ち込む,リーグ戦のスタジアムが持つ雰囲気を再確認したからこそのものだろう,と思っています。


 であれば,もっとリーグ戦を大事にして欲しい。代表チームだけを見つめていては,ひょっとすれば忘れがちなことかも知れないな,と思います。


 もっと「基礎構造」の裾野が広がって欲しい。フットボールの魅力は身近にあるのだから。欧州フットボールのようなレベルではないかも知れないけれど,「自分たちが支えている」という実感が得られるのは自国リーグでしかないのだから。“Matchday”が待ち遠しい,と思ってくれる人間が少しでも増えて欲しい。そう思います。