悪しき欧州基準。

まだ,日本ではスカーフ(マフラー)を手首に巻かなければならないような事態には立ち至ってはいません。


 当然,ファッションとして,という意味ではありません。「必要に迫られて」,というフレーズを頭に付ける必要がある話です。
 本来,首に巻くべきものを手首にしておかなければならない異常さ。それが何を意味するのか,想像してみてください。「悪しき欧州基準」(暴力がスタジアムを覆っていた頃のヨーロッパ),そのひとつの具体例が,手首に巻かれたスカーフだと,感じるところがあります。


 他人事でしょうか。こんなことはあり得ない,でしょうか。


 そうとも,言い切れないように思うのです。今回の話(MSN−Mainichi)を聞くにつけ,どうしても競技場を(悪い意味での)「欧州基準」に合わせたい人間がいるのか,と暗澹たる気分になります。加えて言えば,この話は「スポーツ」のカテゴリに分類されておらず,社会面,しかも「事件」のカテゴリに分類されていることを重く受け止めたい,と思っています。


 「家族連れのひとたちや子供たちが安心してスタジアムに足を運べること」


 Jリーグが発足当初から掲げている理念ですが,一般的には真っ当なことを言っているに過ぎないのです。ただ,欧州におけるフットボールの歴史,特に“フーリガニズム”に翻弄され続けたイングランドやその他の欧州諸国のことを考えると,「真っ当なこと」を言い続ける必要があるのも確かなこと,と思っています。
 ワールドユースコンフェデレーションズカップでスタジアムの姿を見た方も多いかと思いますが,スタジアムにはしっかりとネット(金網)が張り巡らされています。負の遺産が影響している形です。金網を設置していないイングランドにおいては,明らかに存在をアピールする警備担当のスチュワードや制服警官,無数のサーヴェイランス・カム,そして「要注意人物」をスタジアムで特定するためのスポッターがいます。これらの存在が必要になってからでは遅いのです。いまのスタジアムを,「悪しき欧州基準」に合わせてしまうことになる。


 ここでは,事あるごとに似たようなことを書いているように思うのですが,今回もしつこく書いておくことにします。


 Jリーグが発足当初から掲げている理念がそんなに納得できないのであれば,スタジアムから去ってもらって構わない。私はそんな「悪しき欧州基準」など,興味はない。スタジアムには“フットボールがもたらす熱狂“だけがあればいい。その熱狂を自らのために利用しようという人間には,スタジアムに足を運んでもらいたくない。
 リーグサイド,そしてクラブサイドには毅然とした態度を示してほしいと思う一方で,いまいちどJリーグの掲げた理念がどれだけ当たり前のこと(それゆえに,とっても大事なこと)なのか,私も含めて確認しておかなければならないな,と感じます。