FIAの当事者能力。

オイルの焦げた匂いのしそうな屋号を掲げているのに,フットボールの話ばかりというのもナンですし。


 要は,ネタ枯れを起こした(中断期間でもありますしな。)ということですよ。たまにはこういうネタを連続させてみてもいいかな,ということで“アメリカGP・その後”をちょっと書いてみます。


 と,軽く書きはじめましたが,正直言って腹立たしいわけですよ。


 ミシュランの判断は恐らくはカスタマーの安全性確保,という至極シンプルな論拠に基づくものでしょう。そのことに関しては,異論を差し挟むつもりはありません。でも,前回エントリで触れたようにテンポラリー・シケインを設置することでオーヴァル部分への進入速度,脱出速度を落とし,タイアへの負荷を減らすことは全チームにとってメリットのある話でしょうに。フェラーリだかFIAサイドだか知らないが,“安全性”を“ポリティクス”にすり替えているわけです。


 昨日ははっきり書かなかったけれど,ブリヂストンは“ファイアストン”というブランドで北米のモータースポーツを支えている。IRL,CARTだって例外ではありません。つまり,オーヴァル・コースに関するデータの蓄積はファイアストン経由ですでにできているし,そのデータを織り込んだスペックのタイアをカスタマーに供給することなど造作もないことです。フェラーリがテンポラリー・シケイン設置に反対したのだとすれば,(仮定論をお許しいただけるならば)恐らくはブリヂストンの経験値に賭けたのでしょう。


 この仮定論が実際のフェラーリのアイディアだったら,結果としてFIAはフェラーリのギャンブルに手を貸したことになるかも知れません。にもかかわらず,ミシュラン・ユーザを公聴会に招集(AUTOSPORT Web)するつもりだそうです。


 安全性を蔑ろにするコスト削減策でもある,レギュレーション改悪を断行した張本人であるにもかかわらず,さもミシュラン・ユーザが責任主体であるかのような一連のFIAの行動には,憤りを感じざるを得ません。アメリカGPにおいて,エンターテインメントのオーガナイザーとして不出来であることを露呈したけれど,今回の事後処理において,競技を管掌するだけの当事者能力にも問題があるように感じます。