既視感。

チームの構築過程を見ていて,思うことでありますが。


 アテネ五輪当時U−23代表を率いていた指揮官と,WYで指揮を執る大熊さんとの共通項が多いことには確かに気付くのですが,それ以上にラグビーフットボールとの共通項を感じてしまう部分があります。


 と言いましても競技自体ではなく,置かれた状況がちょっと相似形かな,というわけでして。
 ある意味,「いつか来た道」を見ているような感じがしたわけです。で,「既視感」などというタイトルを掲げてみたのです。


 さて,その既視感の正体を読み解くときのキーワードは「世界基準」,であります。


 ジャパン(ラグビー日本代表)が先の見えないトンネルから抜け出せなかった頃に使われた言葉です。なんとなく,分かったような気になる言葉だけれど,実際に,「世界基準」という言葉の具体的な意味を考えてみると,結構難しいように思うのです。そこで,いつものように遠回りしながら「世界」にどう勝負を挑むのか,そしてそのためには何が必要か,という部分から考えていくことにします。


 「世界」,というものを具体的に想定することは決して悪いことではない,と思います。


 思いますが,「世界基準」という言葉の裏には,“トレンド”という言葉が隠れているようにも感じます。ここでは繰り返し書き続けていることですが,基本戦術,そしてその基本戦術をピッチ上で具体化するためのシステム(初期布陣)は“ワンオフ”なものであり,エッセンスが継承されるとしても普遍化された戦術的トレンドというものは恐らく存在しないと思っています。それ以上に,“現有戦力を前提として,彼らの潜在能力を最大限に引き出す戦術パッケージをしっかりと構築する”方が圧倒的に重要であるはずです。
 具体的に言えば,オリンピック年代,WY年代の戦力構成を俯瞰的に眺め,日本代表(候補を含む)の戦力的重心がどこにあるのか(恐らく,その戦力的重心はチームのストロング・ポイントに直結していくはずです。),をまず見極め,そこから基本的なチームへのイメージを想定する,と。


 山本さん,あるいは大熊さんのチーム・ビルディングは,この点が非常に不明確であるような印象を持つのです。


 「世界」に勝負を挑む,ということは詰まるところ日本独自の武器をどう見つけ,その武器をどのようにブラッシュアップしていくか,という部分に尽きるのだろう,と思います。フットボール・ネイション(あるいはラグビー・ネイション)とは与えられた諸条件からして大きく異なるはずです。にもかかわらず,「世界基準」という言葉のもとに似たようなスタイルを追い掛けたとしても,世界との差を縮めることにはならないのではないかな,と。


 ラグビーは日本のストロング・ポイントを最大限に引き出す,という観点から戦術的な転換を行い,(当然,まだ試行錯誤の段階にあるものの)一定の光明を見出しつつあります。対して,2004年(当然,それ以前)からの各世代代表チームの構築過程を見ていると,一時のラグビーのネガティブ・スパイラルを思い出すことがあるのです。これは何事にも共通することなのかも知れないですが,「短所を消す」ことよりも「長所を最大限に伸ばす」ことの方が実は最も重要な要素,ということを示しているようにも思えるのです。


 A代表を含め,代表チームに共通する課題。それはある意味,「世界と戦うときに頼みにすべき,日本の武器とは何か。」という命題を解くことかも知れないな,と思うのです。