戦術と戦術眼。

ヴェルディが一時の黄金時代から転落してしていった原因は何だったでしょうか。


 主力選手の流出。確かに大きなファクタだ,と思っています。


 ま,基本的に「よそさま」の話なんですけどね。
 でも,「対岸の火事」としてはいけない,考えておかなければならない話でもあるように思うわけです。チームとしての「強さ」を継続したいと思うならば。そこで,まいどのように遠回りですが,ヴェルディのことをベースに話をはじめたいな,と思うのです。


 さて,主力選手の流出によって,どういうダメージがファースト・チームに加わったのでしょうか。


 恐らく,そのダメージを説明するために必要なピースが「戦術眼」だろうな,と思うのです。例えば,ゲームの中で点を入れられてはならない時間帯,逆に得点を奪っておかなければならない時間帯を感じる能力であったり,局面によって相手のボールをどうしても奪取しなければならないポイントを見抜く「危機察知能力」のようなものが「戦術眼」の持つ意味ではないか,と個人的には感じています。ある部分では“経験科学的”なものかも知れません。
 対して,戦術とは以前「ジャズとフットボール。」(興味のある方は,4月のアーカイブを探してみてくださいませ。4月10日にアップしているものでございます。)というエントリの中で書いたと思いますが,ジャズの代名詞であるアドリブ・プレイ−言うならば,ピッチ上の選手たちのイマジネーションに基づくプレー−を無秩序な演奏にせず,全体として統一感を持った演奏とするための最低限の規律として機能している和声(コード)のようなものだろう,と感じています。ある意味,(経験から導かれる部分が非常に多いけれど)保有戦力から導かれる理論的なもの,と解釈しても良いと思います。


 そして,この両者のバランスが崩れるからこそ,チームが機能しないように感じるのではないかな,と思うわけです。
 新潟戦が何とも言いようのない感覚を持ったゲームになっているのは,思うに「戦術」面での共通理解が進んでいない(=いつもの表現を使えば,「ピッチ上の選手が共通したピクチャーを描けていない」)部分と,リザーブ・メンバーや若手選手を多く起用したことによって厳しい実戦経験から培われる「戦術眼」の面が不足してしまった,という部分が絡み合ってしまったからではないかな,と感じています。


 「強さ」を継続したものとする,そして現在のチームに足りない要素を見つけ出すためには,チーム内競争を積極的に喚起しながらチーム全体としての目標をぶれることなく提示し続け,戦闘集団としての統一感を維持する,という難しいチーム・マネージメントを強いられることも視野に入れておかなければならない。ただ,今までは全力でグループリーグを戦うことを強いられていたわけですから,グループリーグで優位を保つことができたからこそ見えてきた課題,と言うこともできるかも知れません。