脱線事故に思うこと。

今回は,まったくフットボールとは関係ない話を書こうと思っています。


 本当はあまり書きたくはない話ですが,書き留めておかなければ,とも思っています。


 JR宝塚線福知山線)で発生した脱線事故は,すでに単なる脱線事故の域を大きく超え,航空機事故のような様相を呈していますね。死傷率が90%近くにまで達する事故というのは,明らかに異常です。本当に心が痛いし,負傷された方,大事な方をなくされた方にかける言葉が見つからないです。


 この事故を通して,いろいろな問題点が指摘されています。


 恐らく,メディアはそういう部分もしっかりと報道すべきなのでしょう。でも,本当は「責任者捜し」以上に,これ以上に悲劇を繰り返さないためにどういう対策が取れるのか,が被害に遭われた方に対する誠意ではないでしょうか。そのために,メディアだって何かできるはずだろう。少なくとも,私個人はそう思っています。


 メディアの論調で,気になったことがあります。


 それは,運転士の未熟さを問題視するひとが多かったことです。


 確かに,件の編成を運転していた運転士に何らかの問題があったことは確かかも知れません。ですが,今回の事故から見えてきた運転士の経験や技量だけに多くの乗客の生命がかかっている,という状況はシステム運用としては明らかに異常であろうと思います。


 人間はミス(失敗)をする存在でもあります。ダイヤグラムが過密であればこそ,そのミスが何らかのアクシデントに直結してしまわないように(あるいは,アクシデントが避けられないとしても,軽いアクシデントに抑えられるように)システム設計をしておくべきでしょう。専門外なので正確には分かりませんが,物理的に脱線を防ぐ設備を備えるとともに,もっと人間のミスに優しい(あるいは,ミスによって事故の危険性が高まった場合に,人間の判断よりも事故回避のための自動制御を強制的に優先する)電車運行制御のシステムが作られるべきなのかも知れないな,と個人的には思っています。時間に正確であることも大事だけれど,本当は「目的地に安全に乗せていってくれること」こそが最も大事なことなのですよね。自戒を込めて言えば,時に「遅れたこと」に不満を表し,「運賃値上げ」に文句を言ったりする。だけど,それが「安全性の向上」と引き替えだということが納得できれば,逆に「信頼感」が生まれるのではないでしょうか。


 JR西日本が最も非難されなければならない部分は,犠牲者の家族の方々,迷惑をかけたひとたちに対する真摯な態度が見られないのはもちろんのこととして,どのような対策を採るか(たとえ腰だめの話であっても)打ち出そうとせず,むしろ置き石の可能性に(事故調査委員会の調査に予断を与えるかのように)言及し,予防線を張るかのような態度をとったことにもある。私はそう思っています。