ジャズとフットボール。

ジャズとクラシック。一見すると,相反するカテゴリのように思えますよね。


 「即興性」が大きな魅力であるジャズに対して,クラシック音楽は「精緻な(=計算された)感じ」がやはり前面に出てくるように思うのです。
でも,実際には両者の関係は思うほど断絶してはいないように感じます。むしろ,見えないところで絶対につながっていると思うのです。最たる例としてはジャズ・ピアニストとして有名なビル・エヴァンスを挙げることができるでしょう。彼はクラシック音楽への理解も深かったようで,ジャズ・スタイルを作り上げるにあたってクラシック音楽を参考にした部分も多かったと聞きます。また,クラシック演奏家としての高いレベルでのトレーニングを受けた上でジャズ・プレイヤーに転向していく演奏家も多いですね。


 さて,何が言いたいか。


 先のエントリでも触れたと思いますが,「コンビネーション」先行型のチーム構築アプローチと,「組織性」先行型のチーム構築アプローチは決して相反する関係にはないのではないか,ということを言いたかったのです。むしろ,「相互補完」の関係であったりするのではないか,と考えているのです。そして,この関係はジャズとクラシックとの関係に類似してはいないかな,と。


 ジャズとフットボール,結構似ている部分が多いように思うのです。端的に言ってしまえば,「即興性の中にも秩序は必要」ということが,同じようにジャズとの関係から読み取れるように思うのです。


 ジャズのアドリブを考えてみます。


 アルト・サックスやテナー・サックスに代表される管楽器奏者,ウッド・ベースなどの弦楽器奏者,あるいはピアノ・プレイヤーにとっては自らのテクニックを観客にアピールする絶好の場面です。そこで彼らは「自由に」フレーズを紡いでいるでしょうか。前衛音楽の領域にまで達している一部をのぞけば,そうではないケースの方が圧倒的に多いのです。
 楽曲には必ずキー・ノートというものがありますけど,それを含む和音(コード)の中からフレーズを組み立てているのだそうです。逆に言えば,完全にキー・ノートから自由だと,アドリブの部分だけが演奏している楽曲から浮き上がってしまうことになる。そういう事態を避けるためにも,「縛り」が必要になるのだとか。
 そして,アドリブにはいろいろな音楽のエッセンスが詰まっているようにも見えます。結局,プレイヤーにどれだけの「引き出し」があるかがアドリブで見えてしまう,とも言えるように思うのです。恐らく,クラシックの素養を持った演奏家がジャズ・プレイヤーとしても活躍できる大きな要因は,多様な作曲家の作品に触れることで作り出される「引き出しの多さ」なのかも知れません。


 実を言えば,第4節を前に意図しないところで「レギュラー権」という言葉を耳にしてしまったときに,何となくフォーカスがボケてはいたけれど今書いているようなことを考えてはいました。そして実際に第4節のゲーム運びを見て,(決して良いことではないけれど)実際にフォーカスが合ったように思ったのです。


 キー・ノート,基音階から構築される和音が,言ってみればチームとして共有しておくべき戦術的な「規律」(ディシプリン)なのであろう,と思うのです。選手の想像力,それらが緻密に組み合わされることで意外性あふれる(=相手にとっては脅威でしかない)攻撃力が形作られるのだろう,と思っていますが,その基盤には必ず,「どのような仕掛け方をするか」というピクチャーが共有されている必要があると思うのです。チームが不調のときに,個の能力に過度に依存した攻撃が目立ってしまう,ということは,ピクチャーがあるとしても選手によってのその見え方が違ってしまっているのではないか,と感じます。
 言ってみれば,プレイヤー(選手)によって,アドリブに適用されている和音が異なっているために,時に計算外の不協和音を出してしまっているように感じるのです。日経のレッズ番・吉田誠一記者が

 「攻守ともに赤い塊となっていない」

(出典は,4月10日付日経朝刊スポーツ面)という意味は恐らくはこのことだろう,と考えています。


 昨季の良いイメージが,ピクチャーとしてピッチ上の選手で共有できること。言い換えれば,浦和としての「スタイル」が誰がピッチに立とうとも再現可能であること。それこそが,戦術的な規律が持つ本当の意味だろうと,感じています。
 そのためには,昨季のプレーを抽象的なイメージではなく,シンプルな言葉で具体的に選手たちに伝え,どういうボールの奪い方をするのか,再度徹底する必要があると思うのです。前線がどういう動き方をしてパスコースを狭め,中盤でのファースト・ディフェンスはどういう形で仕掛けるか。ファースト・ディフェンスでボールが奪えなかった場合には,どういう形で数的優位を構築してボールホルダーを囲い込み,どの時点でボール奪取を確実なものにするのか。
 それは緻密で美しいコンビネーションを誰がピッチに立っていようとも「常に」再現するためには,最も大事な要素ではないか。少なくとも,個人的にはそう感じています。このことに対する解答がしっかりと出せれば,昨季から積み残しとなっていた課題(=中盤を省略して攻撃を仕掛けてくるチームに対しての有効な打開策)にも,解答へのヒントが見えてくるのではないか。ある意味では,「ピンチこそチャンス」の典型的な話かも知れません。