「数字」の持つ本当の意味。

まあ,いつものことさ,と言ってしまえばその通りなのですがね。


 “Number”ではアリーゴ・サッキさん(レアル・マドリーフットボール・ディレクター)にインタビューして,彼が追求してきたプレッシング・フットボールリヌス・ミケルスさんによって示された“トータル・フットボール”に多大な影響を受けていることをまとめた記事を寄稿しているだけに,まさか今までのようなシンプルな議論はしないだろうと思っていただけに・・・。


 システム論は何のために必要なのか,という部分を再確認するためにも,今回取り上げてみようと思った次第であります。というわけで,今回用意したこのお方のお書きになったコラム(gooスポーツ - NumberWeb)は完全に「反面教師」扱いの参考書です。Ernestです。


 まず,整理してみましょう。


 システム論はチーム戦略論の一環であって,先んじるものではないと思うのです。
 どのような戦力をまず抱えているのか.その上で,どのような攻撃を仕掛けること(あるいは,どのような組織的守備をすること)がチームにとって最良か,という現状分析がなければならないはずです。そのうえで,持てる戦力を最大限に生かすパッケージとして,システム論を考えていく,と。
 このことについては,以前のエントリでジェフ・ユナイテッド指揮官であるイビツァ・オシムさんの言葉を借りています。


 端的に言えば,イビツァさんは単純なシステム論を極度に嫌っています。


 現有戦力を最大限に生かすためには,どのような布陣を組むのが最良か。その結果が,戦術パッケージとして実際に見えているに過ぎない,と。そんなイビツァさんの考え方はひとつの解であろうと思いますし,指揮官が「理想主義」的に戦術パッケージを構築した場合に,チームがどのような道をたどるか,考えてみるべきではないか,と思っています。
 また,この点を説明するためには,昨季前半,3−3−3−1とも表現すべき攻撃的布陣を指向しながら,主体的な守備意識を十分に喚起できなかったことでバランスを崩しかけ,前任指揮官時代からの3−5−2システムに回帰したことで結果的に落ち着きを取り戻した浦和のパッケージ,その変遷と成績との相関関係を考え,また昨季前半と後半での各種スタッツを同時に比較してみることもかなり意味がある,と思います。


 と,ここで終わってしまっても良いかな,と思うのですが。


 せっかくミケルスさんの話に触れてみたのですから,実際の戦術面からも単純なシステム論に対する反論をしてみようかな,と。というわけで続けます。


 バックスタンド上方,あるいはアッパー・スタンドから見れば,フットボールの攻撃パターンは確かに幾何学のようかも知れないな,と感じます。浦和の前任指揮官でもあるハンス・オフトさんが日本代表を率いていた頃に一般にも広く認知されたフットボール・タームである“トライアングル”は,確かに攻撃面を説明する重要な言葉だろうとは思うのです。


 しかし,シンプルな幾何学とは大きく違うのも確かなことではないかな,と思ってもいます。


 ゲーム開始時のイニシャル・ポジションのまま攻撃することはほぼあり得ません。むしろ,積極的にイニシャル・ポジションを外れて攻め上がっていくことで,局面に応じて柔軟にその形,形を作るフットボーラーのコンビネーション,そして大きさを変え,組織的な攻撃を組み立てていく。言わば,「ポジション・チェンジ」こそが,現代的なフットボールの最も重要なファクタではないかな,と感じるのです。


 リヌス・ミケルスアヤックス,オランダ代表においてその可能性を世界に示した“トータル・フットボール”,その影響を強く受けている後年のフットボール・スタイルは,単なる「数字」だけでは読み解くことのできない部分にこそ,大きな意味があるのではないか,ということを示しているように感じられるのです。


 具体的な例を示して話を進めましょう。


 4−4−2のパッケージを採用するチームが,90分間フルにその布陣を維持しているのか,と聞かれれば,それはあり得ない,というのが通常の答えではないでしょうか。実際,SBが上がっている状態でカウンター攻撃に対処しているとすれば,セントラル・ミッドフィールドの片方が下がり目に位置していれば,形として3バック的な時間帯が存在することになりますし,SBの攻撃参加時に誰がスペースをケアするかによっても,中盤におけるパッケージの運用が静的な形とは大幅に異なる時間帯が生まれることになります。加えて,CBが積極的に攻撃参加していった場合には,セントラルが最後方をケアすることになります。
 攻撃面を取り出して考えれば,トップがボールをさばく動きに徹する一方で,以前であればトップ下としてボールをさばくポジションにいたプレイヤーが積極的にエリアに走り込んでフィニッシャーとして機能する。あるいはセントラル,CBが積極的に前線へ走り込むことで,相手ディフェンス・ラインに混乱を与え,スペースを作り出す。
 すでに,局面に応じて複数の役割を果たすことが各選手には期待されているのが,モダン・フットボールの典型的な姿であるはずです。3−5−2,あるいは4−4−2という「静的なパッケージ」だけが重要なのではなく,各選手がどのような関係性を持ってファースト・ディフェンスにあたるのか,あるいは数的優位を築きながらボール・ホルダーにアプローチするのか,そしてボール奪取をした後,どのような攻撃を組み立てていくのか,という“コンビネーション”の方がはるかに重要な要素になっているのではないか,と思っているのです。そして,その重要な要素をスムーズに引き出すための「手段」がパッケージだろう,と理解しています。


 このお方の話は,この大前提と言うべき話が見えてこないのです。


 少なくとも,どういうタレントがいるから,そのタレントを十分に引き出すには4ー2−3−1(実際に,最新トレンドであると無条件に信じているようですが)システムを採用することで,コンビネーションの熟成を図る方が最終的には得策,という話にならなければならないはずなのに,その前提が端折られている。
 実際,彼が例に引いているフース・ヒディンクさんにしても,韓国代表では4バックと3バックのハイブリッド版的なパッケージを採用していたと記憶しています。システムとは戦力,タレントによって柔軟にその形を変えるべき類のものだろう,と思うのです。


 最新トレンドだろうが,戦力バランスによってはフィットしない場合だってある。
 戦略論から導かれるシステムとして,4−2−3−1システムが最適だったとしても,どれだけ現有戦力の能力を引き出せるのか,相手が持つストロング・ポイントを抑え込むことが可能か,という「現実主義」とのバランスを見出すことの方が無条件にシステム論にすべてを帰結させることよりもはるかに重要でありましょう。
 表面に出てきている「数字」には,指揮官の猛烈なブレイン・ストーミングが隠れているはずです。重要なのは(本当に読み解かなければならないのは),各クラブ指揮官が行っていたであろうブレイン・ストーミングの内容ではないか。数字は指揮官の意図を考える「端緒」に過ぎない,と考えているのです。