「戦闘集団」に必要な要素。

前の“4バックを考える”というエントリを受けて,今回のお話を組み立てておりますれば,時に話の流れが飛躍するかも知れません。


 そのときには前のエントリを適宜参照していただく,という方向でご理解を。
 まいど,の連続エントリなれば,あいさつ省略。


 で,もうひとつタイトルを付けるならば,“4バックを考える・その続編”であります。


 取り上げられている事柄はともに,中田と福西の話し合いにはじまる「守備連携に関する話し合い」,であります。確かに,4を採用している場合,サイドが上がった後のスペースを誰が消し(=ファースト・ディフェンス)に入るか,というのは大きな課題でありましょう。
 その点をきっかけに,しっかりとした話し合いがピッチ上で展開されたことが読み取れます。この出来事をどう扱うかによって,4に対するメディア各紙のスタンスが明らかになってくるように思われます。


 やはり「ギャンブル」だったのではないか,という否定的なニュアンスで見ているのがスポニチの記事を書いた記者さんだとすれば,問題点を冷静に指摘しながらも一定の光明を見出しているかのような書き方をしているのが日刊スポーツの記者さんの見方かな,と感じます。


 さて,ワタシ自身はどう思うか,ですけれど。


 日刊の論法が本来チームのあるべき姿だろう,と感じています。
 クラブ・チームであれ,あるいは代表チームであれ,チームであれば「目指す方向」にブレがなければ良いだけのことであって,その方向性を確認する作業の中で意見を戦わせることは,必要不可欠の要素だと思っているからです。そういう観点から言えば,スポニチの論調はちょっとナーバスに過ぎるように思われます。「言い合い」ではない。戦術イメージを同じものに近づけるための「摺り合わせ」だ,とワタシは思うわけです。
 ワタシの記憶が確かならば,中野田のトゥルシエ階段下でメディアのインタビューに答えた中田英寿は,かなり刺激的な言葉を使ったはずです。しかし,その言葉の裏にある本当の意味は,「ピッチ上の選手たちが同じピクチャーを持って(プレー・イメージを持って)プレーするためには,しっかりとした意見をぶつける必要がある」ということではなかったでしょうか。彼の主張に,周りが追い付いた,と見ることもできるのではないか.そう感じています。


 システムそれ自体が,ゲームをする目的ではない。「勝ち点を奪い取ること」が最大の眼目であり,システム論はどのようにしてゲームを展開し,相手から勝ち点を奪うか,という手段に過ぎないと思うのです。
 今回のシステム再変更における最も大きな問題は,指揮官が然るべき準備期間を置いて,システム変更の必要性を具体的に示しながら通知しなかったこと。それゆえに,「中盤ありき」での4バック・システムへの変更ではないか,と考えられてしまうのではないかな,と感じます。また,再変更に伴う戦術練習において,個々の役割をわかりやすく整理する努力を放棄し,ピッチ上の選手たちの「自主性」に任せ過ぎていること,ではないでしょうか。でなければ,最も重要な守備戦術の練習時に,混乱が生じるようなことにはならないはずです。この点は,メディアがもっとしっかりと指摘しなければならない部分ではないでしょうか。


 福西が中田であれ誰であれ,しっかりと自分のイメージしているピクチャーを相手にぶつけた,というのはチームとして成熟度を増した証明だ,と解釈しています。指揮官には,選手の成熟に見合うだけの現代的な戦術的マネージメントを見せて欲しいものだ,と思うですね。