高校選手権の役割とは。

いきなり本題に入りますと。


 Jリーグに加盟している各クラブが下部組織を充実させていく過程と同期するかのように,「小粒」であるとか,「スター選手不在」と言われる回数が増えてきています。確かに,強烈なタレントを感じるチームは少なくなってきたかも知れません。しかしながら,それぞれのチームが標榜する“スタイル”のようなものがより明確になって,個人的には良いトーナメントだった,という印象を持ちます。


 であればこそ,欲張りになってしまうのかも知れません。知れませんが,欲張りでなければ進歩もない,とも思うところがあります。


 こんばんは。


 今回は,前のエントリで予告編的に触れてみた話題に取り組んでみます。


 まず,大前提を明確にしておきたいのですが,教育機関(高校に限らず,大学も含めて考えます。)を基盤とするスポーツ活動は「育成」に重点を置くべきではないか,と個人的に考えています。


 例えばクラブチームの下部組織においては,「育成」以上に「ファースト・チームと有機的に連携した強化」という側面が強調されてくるはずだと考えます。言わば,「将来的にファースト・チームの戦力たり得るか」という評価軸に基づき,必ず戦力の見極めという時期を迎えることになるだろう,と。また,高校段階で将来性を評価された選手にはプロフェッショナル・フットボーラーへの道が開かれることになります。


 その時に,「見落とされた原石」が絶対にない,とは言い切れないように思います。


 見落とされるに至った原因,例えば戦術理解度,身体能力や精神的な強靱さを養うだけの十分な時間,経験やチャンスを提供し得る場所,そして再びタレントをプロフェッショナルの世界に送り出す役割をも担いうるのが高校であり大学であろう,と感じるからなのです。そういう部分から言えば,高校時代にはプロの視界には入らなかったものの,大学時代を経て日本代表のディフェンダーにまで上り詰めた典型的な例が浦和にいますよね。坪井慶介選手です。彼のような才能を輩出できるだけの潜在能力があるのだから,それを活用しない手はない。


 そのためには,「育成」を前面に押し出した大会形態も一策ではないか,と思うのです。また,大学以上に育成が効果的なのが高校年代であり,システムを「調律」する意味も深かろう,と私は感じているのです。


 その考え方の延長線上として,都道府県予選をリーグ戦としてはどうか,と。言うなれば,「ワールドカップ」を高校レベルで再現するわけです。本大会に関しては,前回エントリでも触れたように日程的な問題からトーナメント形式を大幅に崩すことは難しいのではないか,と感じています。ならば本戦の大会形式を変えるよりも,都道府県予選を勝ち抜き本大会への出場権を獲得する方が本戦で勝ち上がっていくよりも難しい,という図式を作り出せば,いかに強豪校と言えども本大会だけを視野にリアクティブな戦術だけを最適解として採用しにくくなると思うからです。また,下位校と言われる学校にも一定のゲーム数が確保されることになり,全体としてのレベルアップが可能になるように思うのです。


 高校選手権が育成の場とするならば,高円宮杯はクラブチームという戦術的に洗練されたチームとの「真剣勝負の舞台」として位置付けられれば,目的別の大会の整理が可能になることで大会乱立,という現在のような事態も回避できるのではないか。そういう意味では,高円宮杯は高いレベルでのトーナメントである必要性が出てくる。個人的にはリーグ戦を勝ち抜いた上位校に対して出場権を与える,という形態でいいのではないか,と考えています。


 ・・・中村俊輔高原直泰小野伸二の世代を“ゴールデンエイジ”と言ったりします。


 でも,彼らを脅かす存在が生まれてこなければ,若年層に対する強化施策が結実したとは言いにくいのだろう,と思うのです。彼らの時代にはうまくいっていたからと言って,当時の強化・育成システムが現在においても有効性を持つとは限らない。たとえ持っていたとしても,立ち止まっていてはゴールデンエイジを超える存在を輩出することは難しい。


 ここまでに書いてきた考え方はフレームワークだけの話ですし,具体的な実現可能性を視野に入れればちょっと大ざっぱに過ぎるかも知れません。知れませんが,ユース年代の選手権のあり方が日本サッカー協会(JFA),Jリーグや高体連を含めてもっと徹底的に,それこそ選手権の枠組み段階から議論されていい,と感じています。