勘三郎丈のこと。

型破りと言われがちですが。


 さて,型破りだったのだろうか,と個人的には思います。型破りの側面も確かにあるかな,とは思いますが,と同時に「原点回帰」の部分もあるかな,と思うのです。であるならば,革命児でもなく型破りだけを指向していたのでもなく,江戸期の歌舞伎が持っていた役割に戻ろうとしていたのではないかな,と思ったりします。その姿を舞台で見ることはなくなってしまいました。空を見上げて,思い出すしかありません。


 今回はフットボールを離れまして,勘三郎さんのことを徒然に書いていこう,と思います。


 勘三郎さんの屋号は,中村屋であります。江戸三座のひとつ,中村座に始まる由緒ある屋号ですから,伝統ある家柄であるのは間違いありません。であれば,伝統を守ることが求められてきただろうことは容易に想像できるところです。ただ,勘三郎さん自身は伝統「だけ」を意識してはいなかったようです。現代を常に意識した歌舞伎も指向してきたようなのです。その意識がまず形になったのが,コクーン歌舞伎ではないかな,と思います。演目そのものは,古典そのものです。その解釈(つまりは演出)を現代的に,というわけです。この,「現代的な要素」というのが,古典,あるいは伝統を重要視するひとたちからすれば気になる要素だったようなのですね。


 「形」がしっかりとあるものを,あえて崩す必要があるのか。


 そういう見方があるのは当然ですし,理解もできます。と同時に,江戸期の歌舞伎はどうだっただろうか,と思うところが個人的にはあります。江戸の風俗,あるいは実際に起きた事件をそのまま描き出すのではなくて,歴史をちょっとずらすことで描き出してみたり。歌舞伎の代表的な演目である,仮名手本忠臣蔵はそれこそ,元禄の代に実際にあった刃傷沙汰,その刃傷を発端とする討ち入りを歴史の時間軸をずらし,登場人物を代えることで芝居にかけたものです。この討ち入りは武家諸法度とは違った処断をしたことがはじまりと言えばはじまりなのですから,この戯曲そのものがある意味,当時の体制に対するメッセージを発するものになっているわけです(そのために,上演に対しての圧力も強かったのだとか)。思うよりも,現代的な要素を持っていたのではないか,と思うのです。


 なんとなく,似ていないかな,と思うのですね。


 勘三郎さんは型を破ろうとしていたのではなくて,むしろ江戸時代の歌舞伎が持っていた役割を再び取り戻そう,と思っていたのではないでしょうか。だからこそ,野田秀樹さんや串田和美さん,あるいは宮藤官九郎さんなど,現代の劇作家さんであったり演出家さんのチカラを借りたのではないかな,と思うわけです。現代的な素材をそのまま歌舞伎の舞台に上げるのではなくて,その状況が最も生きる歴史的状況と掛け合わせて,新たな歌舞伎の演目に仕立てようとしていたのではないか,と。


 もちろん,持っている能力が高くなければ,型を破ることなどできません。しっかりとした基礎,基盤があるからこそ,型を破っても破綻がない。私も何度か,歌舞伎座の一番高い位置から勘三郎さんの舞台を見たことがありますが,それこそ引き込まれるような迫力を舞台から感じました。優美でありながら,力強い。そんな勘三郎さんが,さらに歴史を重ね,円熟味を増したら,どんな舞台を見せてくれるのだろうか,と思っていたわけです。


 歌舞伎役者,というだけでなく,舞台人として超一流のひとがいなくなってしまったのだな,と思います。空を見上げて思い出さなくてはいけない,そんなひとが今年は多くないか,と思います。