政治家的な発言。

“Talking straight”とは程遠いところにいるひとたち。


 そんなイメージが,どうしても政治家には付きまとうのではないでしょうか。


 たとえば,政治家に質問をぶつけてみる,としましょうか。


 その質問に対して,真正面から答えてくる可能性は低いでしょうね。難しい政策課題に触れるような質問ならば,なおさらに。何らかの答えを持っているとしても,その答えが感じ取れるような形で発言をすることはないし,質問の趣旨を意図的に無視して違う文脈の話をしてしまう(聞かれたくない,ということは明確すぎるほどに分かりますが。),そんなケースもあるように思います。


 真意は奥深くに隠される,そんなケースが多いように思うわけです。


 けれど,「常に」真意が奥深くに隠されている,とは限らないようにも思います。受け取る側が真意はほかにある,と思ってしまうような状況に限って,実は真意を語っている,そんなケースもあるように思うのですね。


 とするならば,部分的にせよ真意を語っていたことになるかな,と。・・・まわりくどいですけど。


 タイトルに掲げた言葉で思いあたる方も多いかな,と思いますが,国立霞ヶ丘での試合後,ミシャさんがコメントしたフレーズをもとに書いていこう,と思います。


 試合中にアクシデントに見舞われた,ということではなく,ハーフタイムを迎えずして戦術交代の対象となった,とすれば,フィットネス以外の理由を探したくなります。そして,その理由は「デリケート」なものとして受け取られることにもなります。


 確かに,27節でのパフォーマンスを思えば,清水さんの見方も決して不思議な見方ではありません。恐らく,清水さんとしても26節で受けた負傷の程度がひどければ,27節にスターターとしてはクレジットされないはず,という意識があるはずです。この意識を前提として“Off the Ball”での動きの質,という視点を持ち出したのだろう,と思うのです。もちろん,清水さんが指摘する要素は,不足している(あるいは部分的に欠けている)かも知れない,と感じさせるものがあります。明確な武器,形を持っているフットボーラーであるのは確かであるとして,戦術的な枠組みの中で持てる武器を活かすためには,清水さんが指摘する要素は大きな要素だろう,と個人的にも感じます。


 加えて言えば,交代後の印象が「デリケート」という印象を強める大きな要因となったのでしょう。あの怒りの感情が,誰に向いていたのか,と。


 ミシャさんのコメントが,「政治家的」である(オフィシャルなコメントとは違う,本当の理由がほかにある)と受け取られる,その要因は確かにあった,とも言えるわけですが,そんな状況だったからこそ,ミシャさんのコメントには「真意」が込められている,とも言えるわけで,実際にミシャさんのコメントは(部分的に,であるにせよ)“Talking straight”だった,ということが島崎さんのコラム(浦研プラス)で取り上げられています。


 フィットネスが100%から遠い状態で,イメージするパフォーマンスからも離れてしまっている。そのことがコーチング・スタッフにも伝わったから,早い時間帯での戦術交代に踏み切った。前節で負傷したことはコーチング・スタッフも把握していることでしょうから,それでもスターターにクレジットした,というのは戦術交代を織り込んでいたから,なのかも知れません。ただ,その時間帯がハーフタイムの段階よりも早かったから,その意図をめぐってさまざまな見方が出てきた。


 マクラの話に戻れば,外野が「真意はほかにある」と思ってしまう状況であればあるほど,実際には(比較的,あるいは部分的に,と留保すべきなのかも知れませんが。)ストレートに「真意」が語られている,その可能性が高い,という意味での「政治家的な発言」が,国立霞ヶ丘でのコメントなのかな,と感じるところです。