「総括」なるリリースに思うこと。

10スペックからの継続性が,どこかに感じられるなら。


 次の段階,という言葉を持ち出す余地もあるのかな,と思いますが,どう好意的に解釈しようとも,今季のフットボールを昨季以前のフットボールの「次の段階」である,との評価はできないと考えています。


 この基本認識が,浦和に欠けている要素を示唆しているように感じられるのです。


 各方面で取り上げられていますし,順番としても前後しているのですが,今回は浦和からのリリースについて思うところを書いておこう,と思います。


 まずは,リリースには記述されていない前提条件からはじめましょう。


 浦和は,どのようなフットボールを意識して,ジェリコペトロヴィッチとの交渉に入ったのでしょうか。そのときに,強化責任者であった柱谷さん,彼の持つ理想と,浦和というクラブが描いていてしかるべき理想とがひとつの具体的なイメージとなっていたでしょうか。


 恐らく,このすべてが欠けていたのではないでしょうか。


 たとえば,浦和はどのようなフットボールをピッチに表現しなくてはならないか,という部分で,クラブに関わるすべてのひとがイメージを共有できているのであれば,方向性が揺れ動くことはないはずです。このリリースにも,浦和が狙うフットボール,そのフットボールを形容するフレーズは使われています。確かに使われている言葉は抽象的で,どのようにも解釈できるものです。でも,その抽象性が問題なのではなくて,それらの言葉がどのような意味を持っているのか,という具体的な意味付けが共有されていない(そのために,同じ言葉を使っていながら,見ている方向性がまったく違うなどという事態が生じる),少なくともそのような印象を与える,ということに問題の根幹があるように思うのです。
 また,10シーズンまでのフットボール,その評価をどのようにしていたのか,という部分がかなり不透明です。どんなフットボールにもアドバンテージとディスアドバンテージがある(100%の戦術パッケージは存在し得ないし,それゆえに戦術的なトレンドは不思議と循環する),と思いますが,アドバンテージに対する評価も,ディスアドバンテージに対する評価も中途半端な印象を持ちます。そのために,引き継いでほしい要素,引き継いでもらっては困る要素を整理しきれなかったように映るし,自分たちの持っている武器がどこにあるのか,という意識を持てなかったのではないか,と。これで,具体的なビジョンを描いて誰かと交渉に入る,というのは難しい相談なのではないでしょうか(このことは,今季にあっても当てはまることでしょう)。11シーズンに入るにあたって,このリリースでは使われていない「継続性」という言葉が持ち出されることになった,その背景がこれらの要素にあるではないか,と推理しています。


 このことを前提に,オン・ザ・ピッチな話に結び付けてみます。


 エッセンス程度であるとしても,何らかの要素を10シーズンから受け継いでいる,という感触を持つことができたならば,PSMについてのエントリで「再構築」という言葉を持ち出すことはなかった,と思います。たとえば,同じダッチ・フットボールであっても,リヌス・ミケルスを源流とするトータル・フットボール,この血統を感じさせるようなフットボールならば,再構築という言葉を持ち出す必要はなかったでしょう。しかし実際には,ダッチ・フットボールでも違う方向,ファン・マルバイク南アフリカで表現してきたようなフットボールを,ジェリコペトロヴィッチは指向してきたわけです。確かに,ファン・マルバイクのアプローチは結果から逆算するような,現実主義的なものではありました。ありましたが,ではファン・マルバイクが実際に預かっていたチームと,ジェリコペトロヴィッチが預かろうとしていたファースト・チーム,その個性を比較して考えてみると,真正面からファン・マルバイクが指向したフットボールを浦和に落とし込むことが可能だろうか,という疑問が出てくるはずです。攻撃面にしても,守備応対面にしても「数的優位」という約束事を意識してきたチームを,1対1にアクセントを置くフットボール,ポジショニング・バランスを徹底して意識させ,数的優位を構築しながら局面を打開していく,というよりは「個」が持っている能力を引き出す形で局面打開を図る,という方向性のフットボールへと大きく意識転換させるわけですから,フットボール・スタイルを大きく質的に転換しようとした(そして,実際には戦力バランスとのミスマッチを起こして失敗した)シーズン,と位置付けるのがフェアではないか,と見ているのです。


 

 イニシアチブ(主導権)を重視した闘い


という言葉は,確かに抽象的です。でも,その抽象性が問題なのではなくて,主導権を重視する,という意味を浦和というクラブが突き詰めていないことこそが,最も大きな問題だ,と思うのです。自分たちから仕掛けていくフットボール,という意味ではボール・ポゼッションという要素は重要な位置を占めるはずですし,試合の主導権を早い段階で掌握するという意味で考えるのであれば,ポゼッション,という要素だけでなくカウンター・アタックをどう仕掛けるのか,という要素も鍵になるはずです。AかBか,という二者択一ではなくて,AとB,その間のどこに浦和としてのバランスを求めるのか,恐らくまだまだイメージが曖昧なままなのだろう,と感じます。
 

 誰にファースト・チームを委ねるにしても,まずは自分たちがどのようなイメージで主導権という言葉を使っているのか,その具体的なイメージを固めることが最優先課題ではないか,と感じます。