浦和は何を目指すのか(西野さんのことから)。

「気持ちの問題」という表現を使われていたけれど。


 やはり,10年間使い続けてきた引き出し,その中身を整理する時間を必要としていたのではないかな,と感じます。ちょっと穿った見方をするのであれば,アウトサイドから浦和を見てきた指揮官として,浦和が抱える問題,緩慢さのようなものが短い交渉期間のなかでも透けて見えた,ということもあるのかも知れない,などと思います。


 共同から配信された記事をもとに,ちょっと書いておこう,と思います。


 正直なところを書くと。


 西野さんに断られる,というのはどこかで意識していたこと,でもあります。西野さんだけの話で見るならば,「ガス欠」の可能性も否定できないな,と思っていたのです。たとえば,西野さんがサー・アレックスのようにアシスタント・コーチを縦横に使うタイプのひとならば,ともすればガス欠の程度は低くて済むかな,とは思います。ですが,西野さんはそうではなさそうです。自分の引き出しを徹底的に使いながらチーム・マネージメントをしてきたように見受けられますし,であれば,その引き出しを整理する時間は必要となるな,と見ていたのです。このことを理由に,断られる可能性は決して低くはない,と。


 しかしながら。西野さん方向とは逆方向から眺めてみると,話は大きく違ってきます。そして今回は,この逆方向が大きく影を落としていたように見えてしまうのです。前任指揮官がどのような形でクラブを去ることになったのか,その流れをアウトサイドであろうと,見ていれば何となく理解できることではないかな,と思うのです。


 前任指揮官たちが,どのようなフットボールを理想として持っているのか,浦和というフットボール・クラブに対してどのような貢献ができるのか。対して,浦和というフットボール・クラブはどのような戦力を持っているのか,そしてクラブとしてどのようなフットボールを狙おうとしているのか。そのフットボールを表現するために,どんな指揮官を必要としているのか。当事者双方のビジョンがしっかりとかみ合った状態で指揮官を招聘してきているのだろうか,と。


 残念ながら,そうではないケースがあまりにも多すぎるように思うのです。個人的に指揮官の意識とクラブの意識がリンクした形で監督就任へと漕ぎ着けた,というのはハンス・オフト招聘のときくらいではないか,と感じます。クラブが持っていた危機感,ファースト・チームが構築できずにきていた基礎構造,チームが戻るべき戦力的な約束事を構築する,という方向性と,ハンス・オフトというフットボール・コーチが持っていた特性とがしっかりとリンクした,という印象を持っているのですが,このときだけはクラブ・マネージメントがしっかりと機能していた,という言い方ができるのかも知れません。


 はっきりと書けば,浦和というフットボール・クラブは「しっかりと屈む」,ジャンプ・アップのためにチカラを溜め込むことができず,ジャンプ・アップのタイミングを間違えるだけでなくジャンプしていく方向性までを見誤る傾向がある,ように思えます。10シーズンから11シーズンへの流れはどこか,ホルガー・オジェックからホルスト・ケッペルへとファースト・チームが委ねられた時期と重なる部分を感じるところがありますし,そんな部分でもこのクラブは歴史から学んでいない,失敗をクラブの貴重な経験,蓄積として生かせていない,ということを感じざるを得ません。


 クラブ・マネージメントが安定性を欠いているから,チーム・マネージメントに決定的な悪影響を及ぼすことになる。そもそも,浦和というクラブは,どのようなファースト・チームを理想としているのか,どのようなフットボールをファースト・チームに描いてほしいと思っているのか。目指すところが明確になっていないから,フットボール・コーチは自分の実績,資質や経験が浦和というクラブに対してどのような効果を持ち得るのか,判断しきれないのではないかな,と感じるのです。


 誰を監督として呼ぶのか,その前に,浦和は何を目指すのか,目指さなくてはならないのか,クラブが真剣に見直すべきなのではないか,と強く思います。