神戸戦後にセレモニー。

まだまだ,ピッチでの姿を見ていたかったフットボーラー。


 浦和でプロフェッショナルとしてのキャリアに終止符を打つ。浦和への思いがあればこそ,の決断だったのでしょうし,その決断を最大限尊重するのが敬意なのだろう,と思いながら,やはりどこかでもったいない思いが残ってしまう。そのためでしょうか,「さん」付けで書くことに違和感を感じてしまうのですね。まだ,プロフェッショナルとしてのキャリアに終止符が打たれている,という事実についての整理が付いてないのだな,と思います。


 さて。浦和からのリリースをもとに,ちょっと書いておこう,と思います。


 神戸戦終了後に,都築さんの引退セレモニーが実施される,とのことです。時期的には,もうちょっと早いタイミングでの実施でも不思議はなかったかな,と思うのですが,この時期に,というのが都築さんらしいのかな,とも感じます。


 都築さん,ではなく都築選手が表彰の場面でどのような姿を見せていたか。


 思い出してみると,セレモニーがこの時期にセットされるに至った理由が何となく,想像できるような気がします。タイトル奪取にどれだけ自分が関わり,タイトル奪取に実感が持てているか,がアウトサイドから見ても理解できる,そんな姿だったのです。
 チームとしてタイトルは奪った,メダルも授与される。でも,自分は試合に絡んでいるわけではないし,自分が奪ったという実感がどこか薄い。そんな言葉が聞こえてくるような姿を見せているときがあった反面で,自分がタイトル奪取にしっかりと絡めた,という実感があるときの姿はまったく違った。このときのことを当てはめてみれば,たとえばこんな感じでしょうか。


 何かのタイトルを奪ったわけでもなければ,試合で勝ち点3を奪ったわけでもない。まして,昨季をもってプロフェッショナルとしてのキャリアを閉じたのだから,と。こんな推理が当っているのだとすれば,都築さんに中野田のピッチに立ってもらうこと,表彰台よりはちょっと低めかも知れないけれど壇上でちょっとしたスピーチをしてもらうこと,そしてスタジアム・ウォークをしてもらうことを納得してもらうためには,確かに時間が必要だろうな,などと思うのです。


 浦和を追い掛けるフットボール・フリークからすれば,「ありがとう。」という感謝の言葉をかける,そんな機会があって当然のフットボーラーであって,都築さんには「ええカッコ」をしてもらいたい,と思っているのです。それだけに,待っていた話がやっとリリースされたか,という思いです。


 ただ。このリリースには心中複雑な思いを持たざるを得ません。このことについてはちょっと畳みます。


 なぜ,浦和のリリースよりも,とあるスポーツ・メディアの記事が先行するのでしょうか。


 ハッキリと書けば,前任指揮官時代に強烈なネガティブ・キャンペーンを張り続けた,そんなスポーツ・メディアがオフィシャル・メディアになったのか,と思うような記事を書いていた。確か,浦和のパートナーには名を連ねていなかった,と記憶していますが。
 どういう経緯があって,関係改善に至ったのか。
 再び,クラブにとって重要な話がアウトサイドを経由して伝わり,クラブ・サイドがそのアウトサイド情報を追認するような形でリリースを打つ。そんな状態に戻っているのではないか,と懸念せざるを得ない話です。ファースト・チームに直接関わる話ではないのだから,という見方もできるかも知れませんが,ルーズな関係はルーズさを増す方向には動いても,ルーズさを是正する方向にはほぼ動かない。そして,事の重要性が増せば増すほど,そのルーズさを利用しようとアウトサイドは思うもの。クラブにとって,機密性を保持しなければならない情報に外部から接触することのできる,何らかのチャネルが再び開通している,と思わざるを得ないように感じるのです。


 ファースト・チームに軸が通らないのは,そもそもクラブに軸が通っていないから。


 些末なこと,かも知れないけれど,その些末なことからクラブの姿が透けて見える。そんな印象をどうしても持つのです。