Continuity.

相変わらず,アウトサイドが喧しいな,と。


 クラブ幹部(だそうですけど。)のコメントを挟んでみたり,低迷している観客動員数と絡めてみたり。


 端的に言えば,スポーツ・ビジネスにとって「強さ」は重要な要素です。ファースト・チームが持つ強さを魅力的だと思うから,観客動員数は伸びていくわけです。その強さを感じられないとすれば,当然に訴求力は低下していくことになります。ならば,強さを失ったから観客動員面で厳しい状態になった,という言い方も当然にできるでありましょう。スポーツ・メディア各紙のロジックはこういうこと,でありましょう。


 ただ,「強さ」だけが観客数の拠り所なのか,と疑問を持っています。


 個人的に思うところを書けば,「強くなくても」競技場へと足を運んでくれるひとをどれだけ多くつくるか,ということも,強さとともに求められるのではないか,と考えているのです。


 浦和の街で,フットボールがかつてのような存在感を持っているか。まだJが立ち上がり間もない時期,浦和市駒場改修へと動かした熱,その熱をいまでも感じられるか。「我らが街のクラブ」,クラブのことを我がことと思ってくれる,浦和のひとたちがどれだけいるのか。
 浦和の街との関係性は,本拠地が駒場から中野田へと移行したことでどこか薄くなってしまったところもあるように感じます。また,ファースト・チームが新陳代謝を繰り返すように,クラブを支えていくひとたちにも新陳代謝の循環はあり得ることです。新たにクラブを支えてくれるひと,クラブとともに歩いていこう,と思ってくれるひとを中野田へと導くような動き方をしていたか,と感じるところがあります。
 さらに書けば,競技場の持っている熱が浦和の街へと伝わっていくには,いささか距離が遠過ぎるところもあります。住宅街に寄り添うような競技場,駒場ならば意識せずとも浦和の街に働き掛けていくこともできたでしょう。フットボール・クラブが我が街にある,と意識せずとも感じられただろう,と思うのです。しかし,中野田との物理的な距離は,意識して浦和の街に働き掛けなければならない距離,であるとも感じるわけです。浦和の街と中野田とを経由なしに直接つなぐ導線は,現状においてシャトルバスだけなのですから。浦和の街に,フットボールがあることを意識させてきたのか,と思うわけです。クラブが本拠地を中野田へと移し,「強さ」を存分に表現していた時期に,実際には基礎的な要素,最も大事にしなければならないはずの「ホームタウン」との関係性を置き去りにしたところがあったのではないか,と思うのです。


 もうひとつ,スポーツ・メディアが喧しい方向から考えるならば。


 先に書いたように,ファースト・チームから「強さ」が失われてしまえば,スポーツ・ビジネスとしての重要な基盤が失われることになります。スタンディングから判断するならば,「強さ」を表現しているとは言えません。そこで,強さを取り戻すための手段として,指揮官交代が浮上してくる,と。
 どんなに理想を高く掲げているとしても,その理想を「結果」に結びつけられなければ仕事を継続できない。フットボール・コーチとはそういう稼業である,とも言えるでしょう。


 スポーツ・メディアの動き方には「他意」を強烈に感じるけれど,額面上のロジックはこんなところでありましょう。ありましょうけれど。個人的な思いを端的に言えば,問題の根幹はクラブの姿勢にある,と見ています。


 そもそも,現任指揮官を呼んだ大きな動機は「強さ」を再構築すること,だったはずです。個を基盤とする強さではなくて,組織的に表現できる強さ。そのために,基礎構造からの再構築,あるいは新たに戻るべき場所を築いていくことへと舵を切ったはずです。当然,ひとつひとつのゲームにおいて,戦術的な微調整が不足しているなど,足らざる要素を強く感じる側面があることを否定するものではありません。けれど,基礎から再構築をかけている段階で,「結果」から逆算したアプローチを中途半端に持ち込んでしまえば,基礎構造の構築を含めて,何もかもが中途半端になってはしまわないか。やっと描き出せるようになってきたフットボール,そこからの「継続性」を放棄するような結論に立ち至れば,また「浦和のフットボール」とは何なのか,というごく基本的な質問の段階から組み直すことを余儀なくされる,その可能性を孕むことにもなるように感じるのです。
 それだけに,個人的には監督を代える必要性を感じないし,やっと見えてきた,新たな「浦和のフットボール」を突き詰めるべく継続性を示すべき時ではないか,という思いがあるわけです。ただ個人的な思いを離れてニュートラルに,でも厳しく書けば,監督が誰なのか,というのは枝葉末節な議論でしかない。誰が監督か,ではなくて,どのような監督を「呼ぶか」という姿勢が最も重要であるはずです。クラブとしての哲学を問いたい,と思うのです。クラブの姿勢,哲学に一貫した筋,戦略性があるのか,それとも短期的な強さ,フィナンシャルな要素に振り回され続けるような,脆弱な筋しか持ち合わせていないのか,もっと厳しく言えば筋さえもが感じられない,場当たり的な動きしかできないのか,が厳しく問われるべきであると感じます。


 変わろう,としているのであれば,やり続けること。それも,クラブの根幹に関わる要素を徹底して。観客動員数の問題にしても,スポーツ・メディア方面で喧しい人事方面も,浦和というクラブに問われているのは持っている哲学,筋についての「継続性」であり「一貫性」ではないか,と思うのです。