フィロソフィ。

大内さんの迷い。


 恐らくは,誰しもがどこかに持っている感覚なのではないかな,と思います。
 ただ同時に思うのは,「結果」を叩き出せていたから,ではなくて,「らしさ」を最大限に表現し得ていたから,魅力的に映るのではないかな,ということです。「らしさ」をどこかに置き忘れたようなフットボールではどうだろう,と。


 昨日は「語る会」ではなかった,“Talk on Together”が開催されたわけですが,ちょっとそのタイミングに合わせて,大内さんのエントリをもとに、とりとめなく書いていこうかな,と思っています。


 浦和のDNA,と言うべきかも知れないカウンター・フットボール。その原点は,「そこからはじめるしかなかった」という意識ではなかったかな,と感じます。「浦和として」どういうフットボールを狙うのか,という観点からカウンター・フットボールを選んだ,というよりは,ファースト・チームに「勝ち点3」奪取という感覚をしっかりと持たせるためにはどのようなフットボールが最短距離なのか,というもっとプラクティカルな理由がカウンター・フットボールの背後にはあった,と感じています。


 明確に,スタイルを意識しはじめたかな,と思うのはやはり,森さんが「レッズの憲法」という言葉を持ち出し,ハンス・オフトを招いた時期になるでしょうか。守備意識を徹底すると同時に,トップのスペシャルな才能を最大限に引き出すために「禁止令」とも表現された攻撃面の役割整理をすることで,「らしさ」の基盤を作り始めた。2004シーズン後期のフットボールは,恐らくオフトが狙ったフットボールとどこか,重なる要素を持っていたのかも知れないな,とは思います。ファースト・チームを貫く、ある種の「哲学」を感じられた時期,とも言えるでしょうか。


 ここから,どのように「らしさ」を積み上げていくのか。


 リザルトとはちょっと違った話になりますが,「らしさ」を追求する,という部分では停滞をしてしまったのかも知れない,と思うところがあります。「高み」を獲ったパッケージ,にこだわるようになった,と言いますか。
 スペシャルな才能。確かに魅力的な要素ではあります。ありますが,いつしかスペシャルな才能への依存度が高くなってしまって,チームがスペシャルな才能を「どのようにして生かすのか」という方向性が抑え込まれていったように映る。加えて,人的な依存性が高くなっていたために,ユニットの構成が何らかの要因によって変化してしまえば,チームが表現していくべきフットボールも大きく変化してしまう。浦和が狙うフットボール,ではなくて,浦和に在籍する戦力,しかもファースト・チームを構成するごく小さなユニットだけで共有されているフットボールが表現されているような感覚を持っていたわけです。いつしか,ファースト・チームを貫いていたはずの「哲学」が失われかけていた,というような。


 再び,チームを貫く「哲学」を構築しようとして,フォルカーさんを招聘した,ということであろうと。


 残念ながら,柱谷さんはフォルカーさんを呼ぶときにクラブにおられたわけではありません。クラブ・トップにしても橋本さんではなくて,藤口さんのときの話です。ではありますが,柱谷さんは,皆さんと一緒に、浦和のサッカーの哲学、フィロソフィというものをしっかり確立していきたいと思っています(ニュースリリースより)。というコメントを残されています。森さんがオフト招聘に際してキーワードとした「レッズの憲法」と,ほぼ相似形を描くセンテンスであろう,と思います。
 プロフェッショナルであるならば,結果を追うという姿勢があるのは当然としても,「らしさ」を追う,という姿勢もまた,重要な要素であろうと思っています。そして,いまのクラブは「らしさ」を追いながら結果を追う,という姿勢を貫くつもりだ,ということが透けて見える。このことがあらためて確認できたことは大きい,と思ったりするのです。