主従関係にピリオドを。
島崎さんは「主従関係」という言葉を使っているけれど。
プロフェッショナルとしては,持ち出してほしくない言葉のひとつだな,と思います。あくまでも,島崎さんが観察するには,ということなのだろうと思うけれど,主従関係という形でここまでのファースト・チームが形容されるのであれば,確かに「闘う集団」としては不充分な要素が残っていた,ということでしょうか。
今回は,島崎さんのメルマガをもとにしながら,ちょっとだけ書いていこうと思います。
時期的に適当なのか,どうなのか(中断期間前に片付けておくべき性質の話だろう,という思いがあるわけです。),という問題はあるとしても,ファースト・チームがひとつの方向性を確認するための時間が持てた,というのは意味あることだな,と思います。
コーチング・スタッフがどのようなフットボールを狙うのか,という要素は,フットボール・スタイルを構築するにあたって重要な前提だろう,と思います。思いますが,まだ不足している要素があるな,と思うのも確かです。
以前も,こんな書き方をしましたが,ファースト・チームをひとつのレーシング・バイクであるとするならば,戦術的な約束事というのはあくまでも,初期的なセッティングが施されただけのレーサーではないかな,と思うのです。たとえ高い潜在能力を持っているとしても,戦闘力を100%引き出すのはほぼ不可能でしょう。
「セッティング」が不足している,と思うのです。
コーチング・スタッフがマシン開発担当だとすれば,セッティングを煮詰めていくときの重要なパートナーは,ピッチに立っているフットボーラーということになりましょう。主従関係,という言葉が入ってくるべきものではない。パートナー,であるべきです。
お互いがしっかりと方向性を共有していなければ,そして実際に戦術を操っているフットボーラーのフィーリングをコーチング・スタッフが的確に吸い上げていけなければ,熟成速度を上げていくことは難しいし,ポテンシャルを上積みしていくこともまた,困難な話でしょう。初期セッティングのままでラウンドを重ねているのだから,対策を立てられるのも道理だし,積み重ねてきたはずの手掛かりがいつしか失われ,不安感を持ちながら戦わざるを得なくなってしまうことにも,それほどの不思議はない。
エゴをもっと出せ!と書いたわけですが,やはり「現場」が静か過ぎたのだな,と。逆側から見れば,コーチング・スタッフも現場の「熱さ」を引き出せていなかったのだな,と。
チームが空中分解する可能性,を指摘されるかも知れませんが,そもそもプロフェッショナルならば,「勝ち点3奪取を積み重ねていくために,何ができるか」という,根幹の要素に違いはないはずです。
プロフェッショナルとして,ごく当然の形に戻っただけ,とは思いますが,方向性さえもが揺れていたことを思えば,少しは安定性を取り戻したのではないか,と感じます。