TERMINATION(Paraguay v. Japan - R16).

もうちょっと,このチームが進化する過程を見たかった。


 自分たちができる,結果を引き寄せられるフットボールを選び,そのフットボールを熟成させてきた。その熟成過程は興味深くもありました。それだけに,ノックアウト・スタイルのトーナメントで,どんな「上積み」が見えるのだろう,と思っていました。


 それだけに,やはり悔しさが先に立つし,もったいないという思いです。同時に,R16という舞台で「悔しさ」を感じさせるフットボールを展開してくれたこのチームを,本当に誇りに思います。


 さて。ちょっとだけ振り返ってみると。


 スコアレスでハーフタイム,というのはある意味,プラン通りだったかも知れないな,と思います。
 ただ,ちょっとプランと違う部分があったかも,と思うのは,パラグアイが思ったほどには「縦」へ積極的な姿勢を出してこなかったこと,でしょうか。そのために,試合前にメディアが指摘してきていたパラグアイのウィーク・ポイントを突きづらくなった,という部分があるかな,と思うのです。
 守備面に関しては,実戦で熟成を重ねてきたパッケージだな,と思わせる守備応対でありました。確かに,相手に決定機をつくられる局面もありましたが,そんな局面に関してはしっかりと「個」が対応に入っていくことができていましたし,不安定性を感じるような部分はそれほどありませんでした。


 厳しい間合いで対峙する,というような感じの戦いは後半にあっても同じ,でありました。
 ありましたが,延長戦突入を視界に,という時間帯で,指揮官はひとつのメッセージを送った,ように感じました。この時間帯までの,「守備的な安定性」を意識したパッケージから,「もともと意識していたはずのパッケージ」に切り替えてきた。攻撃面での「らしさ」を表現することで,均衡を崩す,というメッセージを,戦術交代によってピッチに伝えに来たな,と思ったわけです。


 このメッセージ,確かに伝わったものと思います。


 戦術的な「引き出し」は,すべて使う。守備重視で結果を出してきたパッケージ,そのパッケージを崩して,ゴールを狙う。あらゆる意味で,「総力戦」を仕掛けていく,リスクを引き受けていく,というメッセージにも受け取れました。ただ,ここから「ひと押し」が効かなかった。ゲームを強引に引き寄せてしまうようなひと押しが。局面ベースで考えるならば,ちょっとしたズレであったり意識,というギアのかみ合い具合なのだろう,と思うのですが,そんな要素がちょっとだけ,ゴールを引き寄せるには足りなかったのかも知れません。ペナルティ・シュートアウトで結果を引き寄せられなかったこと,ではなくて,ゲームの流れとは別の部分で勝敗を決することになってしまうペナルティ・シュートアウトに「持ち込まれて(持ち込んで)しまったこと」が,この試合の鍵,と言えば鍵だったかも知れません。


 2002年は,どこか壁を意識する間もなく,壁に近付いていた,という感覚だったかな,と思います。
 2010年は,2002年とは違う。壁の高さをしっかりと把握していたように映るし,どう乗り越えていこうか,というルートもしっかりと考えていたと感じます。壁を超えられなかった,という意味においては違いはないのかも知れないけれど,壁との距離感という部分では,リアルな距離感を感じてくれたものと思います。


 タイトルに掲げた通り,日本代表にとってのワールドカップは「終着点」となりました。悔しさと,もったいなさがない交ぜになっている終着点ではあると思うのですが,視点を変えれば「出発点」でもあります。リアルな距離感を感じられた場所,その場所に戻り,壁を超えていくための戦いをはじめる,その出発点でしょう。
 1チーム(3位決定戦を考えるならば,2チームになるけれど)をのぞいて「負けて終わる」ことを強いられるトーナメントですが,歩いていくべき道筋を意識させる,という意味では決して,悪い負け方ではなかった,と悔しさを抱えながら,ではありますが思うのです。