100 games.

最初は,違和感だったでしょうか。


 確かに,最新鋭です。バックレストのない,座面だけのシンプルなシートではなく,バックレストが付いている跳ね上げ式の座席が設えられているし,シートピッチも拡張されている。キャパシティが圧倒的に増えているのですから当然ですが,トイレの設置数も増えているし,アクセシビリティという部分から見てもやはり,最新鋭のメリットを感じられるものでした。けれど,どこかに違和感を持ちながら,だったのも確かです。


 ひとつには,個人的な嗜好も関係しているかも知れません。どうも,最新鋭の建物だったり設備に,スムーズに馴染んでいくことができないのです。まったくのおろしたての靴に,いきなり足を通すような,そんな感じでしょうか。足の動きにしっかりと追従してくれる感覚がまだ薄くて,どこかに違和感を感じながら馴染ませよう,履き熟そうとしている,と言うか。とは言いながら,違和感が強くて,馴染ませるのに手間がかかるものというのはいつしか,しっくりと馴染むようになってくるものでもあるような,そんな気がします。


 今回は,浦和のリリース(と言うよりは,ちコラム的なゲーム・プレビューでありましょうか)をもとに,書いていこうと思います。


 中野田でのホーム・ゲームが,土曜日のマッチデイで100ゲームに達するのだとか。そこで,ちょっと最初の頃はどんなことを思っていたか,と思いだしてみたわけです。


 やはり,そもそも馴染んでいる靴,つまりは駒場に対する意識の方が強くて,中野田への意識は相対的に薄かった,という感じでしょう。バックレストもないし,カップホルダーもない。バックスタンドにルーフが架かっているわけでもないし,シートピッチも決して広くはない。けれど,コンクリートのざらついているような感触を見慣れているし,スタンドからの視界にも慣れている。どこか,イングランドの競技場へと足を運んだときの感覚にも似ている雰囲気に馴染んでいた,ということでしょう。そんな感覚が,中野田を「等身大」に見ることをさせなかった,ようにも感じます。
 また,ワールドカップが終わるまでは,本拠地という言葉よりもワールドカップのベニュー,という言葉が適当であるような,そんな意識も強かったように思います。
 そんな意識が明確に変わったのは,ワールドカップ終了後のゲームだったような記憶があります。個人的には,「祭りを支える立場」だったのですが,同時に「他人の祭り」という意識も付きまとっていました。インサイドにいながら,早く終わってほしい,という感覚になっていたわけです。「リアルなフットボール」という感覚を取り戻したかった,のかも知れません。そんな意識が,浦和仕様へと姿を変えた中野田へと足を踏み入れて,「戻ってきた」という意識を引き寄せたように思います。いささか硬かった靴が,いよいよ馴染みはじめたのがこの時期,だったように,振り返ってみて思います。


 ごく初期には,どちらかといえば「喜」や「楽」ではない要素が多かったかも知れませんが,確かに「喜怒哀楽」,そのどれもが着実に積み上がってきたな,という思いがありますし,これからも積み上がっていくはずだ,と思います。勝負事,でありますから,「勝ち点3」を収めることができるときもあれば,勝ち点2を削り取られることもあろうし,逆に勝ち点2を奪い去ることに成功するケースもありましょう。となれば,勝ち点を奪えないときもあります。当然,思いとしては「喜と楽(つまりは,勝ち点3)」を積み重ねていくことと,歴史を積み重ねていくことがイコールであってほしい。


 そんなことを思う「通過点」であります。