羅針盤を取り戻せ。

1シーズンだけを見て,すべてが説明できるでしょうか。


 できたとして,ごく一部を説明できるだけではないでしょうか。


 浦和からのリリースでは,2008シーズンについての説明(検証という言葉は「不適切」であり,この文章をして検証というのは「見識不足」でしょう)がなされていますが,個人的には2007シーズン当初から継続していた問題のように映ります。


 そこで,清尾さんのコラム(Wepsうち明け話)も参考にしつつ,考える範囲を広げてみようと思います。


 清尾さんが言うように,浦和のひとつの到達点は2006シーズンにあったと思います。
 そして,高みに到達できた,その大きな要因は「ひたむきさ」にあったとも。


 それでは,2006スペックのチームをひとつの完成形であるとして,ここから,どのような進化を意図していたのでしょうか。


 2006スペックの正常進化形だったのでしょうか。それとも,戦術的なチャレンジに踏み込む意図を持っていたのでしょうか。


 2007シーズン,当初は戦術的なチャレンジがピッチに表現されていました。しかし,シーズンが経過していくとともに,2006スペックを必要最低限でモディファイしたような形へと変化していったのも確かです。


 2008シーズンを説明するのであれば,2007シーズンを説明する必要がある。その視点が,どこにもない。


 クラブとして,どのようなチームを構築したいのか,狙うべき方向性を置き去りにしたチーム・ビルディングがなされてきた,その結果として戦術的な揺れを生じ,さらには停滞を生じてしまったのではないか,と感じます。


 2002シーズン,ハンス・オフトに指揮を任せるという判断をしたとき,クラブはひとつのビジョンを持っていたはずです。


 揺れ続けたチーム・ビルディングにひとつの筋を通し,浦和に「戻るべき場所」を構築する。確か,「浦和の憲法」という言葉が使われたと記憶しています。
 もちろん,ファースト・チームを構成する戦力は変化を続けていますから,「憲法」も常に見直しを迫られることでしょう。ですが,チーム・ビルディングに際しての「絶対的な基盤」であることに変わりはないはずです。にもかかわらず,ホルガー・オジェックにファースト・チームを委ねるにあたって,クラブが何を意図したのか,少なくとも2007シーズンを見る限りでは不透明ですし,ゲルト・エンゲルスへと引き継ぐこととなった2008シーズンにあってもクリアになることはありませんでした。


 2007シーズン前半だけを見れば,結果を求めると同時に戦術的なチャレンジへと積極的にハンドリングしていくことを期待していたように見えるし,シーズン後半を見るならば,「結果」を引き出すことだけに意識を集中させているようにも見える。
 コンセプトが揺れていたのは,2008シーズンだけに限った話ではなくて,2007シーズンから継続していた,と見るべきではないでしょうか。


 再構築すべきは,チーム・ビルディングの基盤となる「哲学」であるはずです。言ってみれば,羅針盤のようなものでしょうか。それは,チームが戻るべき場所にもつながるはずです。


 結果を追うために,本来ならば必要であるはずの羅針盤が,いつしか失われた。その羅針盤を取り戻し,再び機能させるのが,2009シーズンということになるでしょう。