契約満了によせて。

いつかは,必ず訪れる日。


 そう思っていても,実際に訪れてみると寂しいものです。特に今季は,「予感」を感じさせる状況ではありました。


 今回は,浦和からのリリースをもとに,ちょっと徒然に書いてみることにします。


 まず,岡野選手です。


 浦和のフットボール,その原点をつくった選手のひとりだと思っています。
 当時は,攻撃の端緒をつかむところからチーム・ビルディングをしなければならないような状態でした。どうやってボールを奪うか,という部分から意識する必要があった時代です。
 そのときの指揮官は,しっかりとした守備応対から速攻を仕掛けるというスタイルを落とし込み,そのスタイルを徹底させることで,チームにリズムを生み出しました。


 縦に鋭く仕掛ける。そのスタイルを支えたのが,岡野選手です。
 そして,彼の持っている「縦」への意識が,本拠地である駒場の空気を明確に変えたこともありました。


 “Quick Return”を現実にすることができるのか,それとも失敗するのか。そんな重い意味を持ったゲームが,最終節へと持ち込まれます。


 フルタイムでのスコアは1−1。ただ,追い付かれてのイーブン・スコア。しかも,数的不利を背負ってもいます。
 そんな状況での戦術交代は,“7”の投入でした。


 決して,スキルで相手ディフェンスを揺さぶったり,翻弄するようなタイプではありませんでした。むしろ,スピードで相手を振り切る,あるいは置き去りにすることでスペースを奪い取るようなスタイルを持っていました。そのためでしょうか,チームに「縦」への意識を強める効果があったようにも思いますし,大きな意味を持った最終節にはその鋭さがチームにポジティブな意味を持たせたのでしょう。


 復帰以降,2ケタのナンバーを背負ってきた岡野選手ですが,やはり彼のナンバーはどこかで“7”だったように思うのです。


 続けて,内舘選手です。


 クラブにとって,初めてのシルヴァー・ウェア。国立霞ヶ丘のバルコニーで高く掲げたのは,内舘選手でした。


 クラブが,「基盤」という要素を強く意識した時期。ディフェンシブ・ハーフのポジションを任されていたのは,内舘選手でした。現代的な“セントラル・ハーフ”という表現よりも,“アンカー”という表現がより適切な印象を与える,守備的な安定性を強く意識させるプレーぶりでした。


 このときも,守備面からの再構築がなされていました。
 守備的な安定性を受け持つ大きな要素として,ディフェンシブ・ハーフがしっかりと位置付けられたのがこの時期だったように思うのです。


 でも,守備面だけで印象に残っているわけではありません。
 当時の指揮官は表立って「縦方向の流動性」を意図していたわけではありません。むしろ,ひとりひとりの役割を明確化させるところからチームを構築しよう,と意識させていたようですし,攻撃ユニットに自由度を与えるために流動性を抑え込んでいたようにも感じます。
 そんな戦術的な約束事があったようですが,「確信的な規則破り」は意外と黙認されていたようで。守備ユニット前方の位置から,積極的に攻め上がっていく姿も見られたのです。そして,ミドルレンジから低く抑えた,それでいて意外なほどにパワフルなシュートを放っていく。インターナショナル・フレンドリーでも,ミドルレンジからのシュートがゴールネットを揺さぶる場面が見られました。


 ・・・ひとつの時代の終わり。


 確かにそうかも知れません。まだ不透明な部分は多いですが,2009シーズンはふたたび「基盤」を意識したチーム構築が求められる時期になるはずです。
 さらなる高みを狙うためには,チカラを溜めておかなければなりません。その時期でもあるはずですし,波を抑えながら世代交代を進めなければならない時期でもあるでしょう。そのときに意識されなければならないのは,2009以降のクラブを支えるべき選手です。
 であるならば,去りゆく寂しさを言うよりも,彼らのような存在感をピッチで示してくれる選手が続いていくことこそ,彼らに対する感謝になるのかも知れません。


 そしてまたいつか,浦和のフットボールを支えてほしい。そう,願ってやみません。