FIT.
ちょうど,2005シーズン中盤のようなものかも知れません。
あのときも,攻撃ユニットが変更を受けています。プレッシング・フットボールからのスタイル変更と同時でしたから,チームがバランスを見いだすまでに時間がかかったような記憶があります。
ただ,このときは生かし方を知る選手が同時に移籍しています。中盤のコントローラを生かす,その方法論を読み取れたならば,付随的にトップの生かし方も読み取ることができる。そして,チームが描くべきピクチャーがその明確さを増していく。
同じようなことを経験しているわけです。
選手個人として,思うところはあるはずですが,チームとしての総合力が問われる時期は間違いなく訪れます。そのときに,さらなる加速態勢をつくり出せることの方が重要ではないか,とも思います。
とあるスポーツ・メディアの記事では,ネガティブな意味合いを持った言葉が使われもします。
実際,そのような見方を否定はできません。
ハーフタイム終了時,フォース・オフィシャルが掲げたLEDディスプレイに表示されたナンバーは7。戦術交代によって投入された“9”を背負う選手がゲームを決定付ける反面で,チームの戦い方にアジャストしきれないもどかしさを抱えているようにも映ります。
ストライカーとしての存在理由を,ピッチで示せない焦りが,“100%FIT”からさらに遠ざけているようにも。
いまの戦術パッケージではなかなかスペシャリティを発揮できる環境ではないかも知れません。シャドーと言うよりは純然たるトップだと思いますし,縦への飛び出しから積極的に仕掛けていく,という形はなかなか描きにくい。
また思うこととして,「いまの戦力」を見れば,シャドー・スタイルを採用すべき理由も存在するように思います。
中盤の構成,です。
守備ブロックと攻撃ユニットを「縦」方向で有機的に結び付ける存在は,大胆なコンバートによって見出すことができています。しかし,攻撃リズムをコントロールするだけでなく,積極的にフィニッシュへと関与していくべき選手,というピースはなかなか見出せていません。J屈指のオフェンシブ・ハーフがピッチに再び立つまで,待たざるを得ないかも知れません。ポンテ選手が本格的に戦線復帰してはじめて,「もうひとつのパッケージ」が機能するのではないか,と思うところがあるのです。
2005シーズン,純然たる2トップを運用できたのは,やはりトップがチームの戦い方を理解し,チームがトップの生かし方を把握しはじめたタイミングを待ってのことでした。“FIT”という言葉を真正面から使うまでに,いささかのタイム・ラグがあったわけです。
シーズン中盤,恐らくは総合力が厳しく問われはじめる時期に,浦和の戦力は本当の意味で整ってくるはずです。そのときに,どのような生かし方ができるのか。昨季の轍を踏まない,という意味においても,ガンナーズのような“属人性の高いフットボール”ではなく,リヴァプールのようなタクティクスが求められることになるはずです。緻密なメンタル・マネージメントが問われる,という見方もできるでしょうか。
彼の持っているパフォーマンスを最大限に引き出す,という意味で“FIT”という言葉を持ち出すのは,(見方にもよるけれど)まだその時期ではないのかも知れません。