Single Anchor for TWO.

“ツイン・アンカー”体制のように見えるけれど。


 実際には,“シングル・アンカー”を維持していたはずです。


 ということで,すごく時機外れですが,清水戦でのディフェンシブ・ハーフの話などを。


 2007シーズンにおけるパッケージを考えると,比較的アンカーとしての役割を持った選手は明確でありました。ディフェンシブ・ハーフのコンビネーションからも,容易に理解できるところです。つまり。啓太選手がアンカーとしての役割にウェイトを傾け,長谷部選手は攻撃的な役割にウェイトを置いている,と。このコンビネーションは前任指揮官のときから継承されていて,チームの骨格と言ってもいいかも知れません。変更を受けるとすれば,アウトサイドを含めた攻撃ユニットのコンビネーションでありました。オフェンシブ・ハーフをどうするか,という部分からトップの配置を1にするか,2にするかなど。


 その骨格が,立ち上がりの段階から変更されていたのが32節です。


 長谷部選手をシャドーのポジションへと引き上げ,ディフェンシブ・ハーフの位置に阿部選手を上げる(と言うか,戻す)。トップの構成がサスペンションによって変更を強いられ,その変更が連鎖反応的に「骨格」への変更を促した形です。この変更で,啓太選手は比較的積極的に攻撃へと絡んでいく姿勢を取っていたような印象があります。阿部選手の守備面での安定性を生かす,という方向性をチームが意識していたように感じるわけです。


 さて,スターターの段階で変更を受けていた「骨格」でありますが。


 ゲーム立ち上がりの時間帯でさらなる変更を強いられることになります。啓太選手がバッティングによって裂傷を負ってしまったわけです。当然,出血していますからピッチから離れることになりますし,止血措置を取らないことにはピッチに戻ることはできません。コーチング・スタッフは,早い段階での戦術交代を決断します。そこでピッチへと送り出されたのが,内舘選手。ハンス・オフトによってディフェンシブ・ハーフとして起用された選手であります。オフトが指揮を執っていた当時の浦和は守備的な安定性を重視していて,さらにはポジションに関する意識を徹底させていました。そのために,ディフェンシブ・ハーフは攻撃ユニットを効果的にバックアップするという役割よりも,守備ブロックの守備負担を軽減させる,という部分を強く意識した形になっていたように思います。


 で,内舘選手であります。


 フットボール・ジャーナリストである湯浅さんのコラムでは,なかなかに厳しい指摘が入っておりますが。実際には,実戦という高い負荷が掛かった状態での“コンビネーション”構築にちょっとだけ時間がかかったのではないか,と感じます。ごくカンタンに言ってしまえば,アンカーとしての役割を2人のディフェンシブ・ハーフによって巧く受け渡すという意識でいたのではないか,と思うのです。


 阿部選手にしても,内舘選手にしても守備的な部分から見てしまうことが多いけれど,実際には攻撃面でのアクセントとして大きな要素を持っているように思うのです。阿部選手はやはり,ヘッダーのイメージがありますし,内舘選手を考えるならば,タイミングを狙っての縦への突破から仕掛けるミドルレンジ・シュートでしょうか。


 攻撃面を考えれば,アウトサイドでも言われる「釣瓶」のような動きを見せることが理想的でしょう。ただ,この動きをスムーズにこなすためにはコンビネーションの確認が必要であるはずですし,守備バランスという部分をも考えないといけない。実戦という負荷が掛かった状態では,確認にかかる時間が「不安定な時間帯」として位置付けられかねない。ですが,実戦でのコンビネーションが確立され,安定性を確保できるようになると,内舘選手のミドルレンジ・シュートを含めて,相手ゴールを現実的に脅かす形を作れるようになっていたし,相手のフル・カウンターに対しても守備ブロックと連携しながら守備応対をこなすとともに,逆襲の起点として機能していたように思うのです。


 2007シーズンにおけるディフェンシブ・ハーフ,そのコンビネーションとは異なり,アンカーを2人のディフェンシブ・ハーフで巧く受け持つ。そんな姿が,清水戦では見られたように思うのです。