全ての力、全ての情熱、全ての誇り。

確か,昨季は「共に闘い、共に頂点へ」という,すごくストレートな言葉でした。


 今季も,ある意味ですごくストレートな言葉を使ってきたような感じがします。ということで,今回は“ALL COME TOGETHER”について。


 このキャンペーン,表面的に見れば「スタジアムに行こう!」というキャンペーンに映るかも知れません。実際問題として,マーケティングの側面だってあるはずです。
 ですが,本当の意味は昨季,浦和の街が示した通りではないか,と思います。
 旧中山道や,浦和駅から県庁へ向かう通りなど,街路灯にバナー掲示用のステーが付けられているところには,それまで世界バスケ開催をアピールするバナーが掲げられていました。そのバナーが付け替えられ,街路灯を赤く染めていったことを記憶しています。同時に,浦和の街にはポスターが見られるようになった。


 個人的には,「浦和の街あってのクラブ」という意識に立ち戻ろう,という試みだったのではないか,と思うところもあるのです。


 かつて,浦和の本拠地は住宅街を抜け,バイパスをしばらく歩いていったところに位置していました。バックスタンドから細い路地を隔てて,住宅街が広がり,ちょっとだけ歩いていけば大きな団地も広がっている。また,駅へと戻るひとの列は,自然と街の中へと溶け込んでいく。自転車来場率が最も高いスタジアム,なんて評価もあったように記憶しています。浦和の街に息づいているクラブ,という意識は,再認識するまでもなくあったのではないか,と思うのです。
 もちろん,いまでも浦和と「駒場」というスタジアムは特別な関係であり続けている,と思っていますが,浦和というクラブに対して,駒場の持っているキャパシティは残念ながら十分とは言えなくなった。クラブとしての飛躍を遂げようとする時期と,中野田にワールドカップに向けた“セイン・ピスタ”のスタジアムが竣工した時期とは,幸せな一致を見せている。
 そして,実質的な“ホーム”は中野田,と認識されるようになり,同時にリーディング・クラブへの階段を着実に上りはじめた。


 当然,喜ぶべきことではあるのですが,街に息づくクラブ,という位置付けから,ひょっとすればネイションワイドなクラブ,という位置付けへとその立ち位置が変わっていくことで,本来軸足であり続けていなければならない「浦和」という部分が希薄なものへとなってしまわないか,と感じたのでしょう。


 駒場から中野田へと軸足を移そうとも,「浦和の街に育まれ,息づいているクラブ」という形は決して変えないし,これからも変わらない。そんな,クラブからのメッセージもあるのだろう,と街路灯のバナーを見て,昨季感じたのです。
 大住さんの著書,そして「浦和フットボール通信」での大住さんへのインタビューでも,浦和の街がフットボールに対して持っている「熱」のようなものを感じさせるものがあります。
 その「熱」をさらに熱くしていこう,というつもりかな,と。
 もともと持っている熱をさらに熱くしようとする。「地域密着」という言葉を現実化するためには何が必要か,などと考えているクラブに対して,このキャンペーンが示唆するものは大きいものがあるように思うのです。