ヨシムラ、奪冠!

スターティング・グリッドこそ,ホンダ・ファクトリーとヤマハ・ファクトリーの後塵を拝したものの。


 1時間ごとの順位で,1回も首位の座を譲り渡していない。7時間経過時点でのレース・リザルト(モビリティランド・オフィシャル)を見ると,2位に付けているホンダ・ワークス(チームHRC)を1ラップ・ダウンにしている。
 それでも。ライト・オンを指示するサインボードが掲示され,カウントダウン・タイマーがゼロを指し示す19:30になるまで,落ち着かなかった。


そして,19:30が経過する。やっと訪れた,歓喜の瞬間。


 2007 QMMF Endurance FIM World Championship Series, Round 3 “Coca-Cola Zero”Suzuka 8hours World Endurance Championship Race,通称「鈴鹿8耐」であります。





 このヨシムラという技術屋集団,スズキとの密接な関係を持ちながら,不思議と距離を置くことがあったりします。スーパーバイクの規定排気量が750ccだった時代,その末期にはGSX−R750を走らせるという選択をしませんでした。レーシングを前提とはしていない,しかし,GSX−Rのフレームを基盤とするなど基礎的なポテンシャルを持っていると踏んだ“ハヤブサ”をレーシング・マシンへと仕立てる道を選んだわけです。SBKではなくて,X−Fクラスにマシンを持ち込んだのです。このときも,本気で8耐総合優勝を狙っていたはずですが,やはりコーナリング能力を持っているマシンではない,という部分でハンディを背負った。
 ただ,このチャレンジは,GSX−R1000を熟成させるときに大きな意味を持ったはずです。750cc時代の運動性能と,ハヤブサが持っていたストレートでの速さ。これらの要素を組み合わせることができるならば,とスタッフは考えたはずです。ですが,なかなか歯車がかみ合ってくれなかった。スタート直後にアクシデントに見舞われる,あるいはポディウムを狙えるポジションに付けていながら,予想外のアクシデントによってピットストップを余儀なくされてきたわけです。むしろ,もうひとつのスズキ系プライベティア,ケンツさんの方が「実質的スズキ・ワークス」として位置付けられるようなシーズンもありました。


 そんな時期を経て,国際格式になって30周年という節目の大会で,「打倒ワークス」を掲げ,鈴鹿8耐へと参戦し続けたチームが,ホンダのタイトル独占という歴史に楔を打ち込むだけでなく,完璧と言っていい戦いを展開してくれた。


 ヨシムラ,というチームに強く共感してきたワタシにとっては,すごくうれしいニュースです。