時の流れと。

埼玉スタジアム2002がオープンしてから5年を経過したことを,千葉戦のときにアナウンスされていたことは記憶しています。


 確かに,5年間の歩みをダイジェストにした映像もビジョンを通じて流れていましたが,そのときには「時の流れ」を実感することはそれほどありませんでした。振り返るには,ちょっと近い過去であったこともあるし,オープニング・ゲームにあるまじきゲームが展開された,という記憶がいまだ強烈に残っている,ということもあるでしょう。また,バースデイ・フェスタ期間に組まれていたカード,その対戦相手は立ち上がりから決して気を抜くことのできない,主導権を譲り渡しては厄介な相手でもある。そちらに対する意識の方が自然と強かった。


 それだけではなく,中野田で迎える“Matchday”に対して違和感を持つことがなくなり,自然と「日常に組み込まれた非日常」として受け入れられている,ということが作用しているからかも知れません。


 むしろ,5年という「時の流れ」を強く意識したのは福岡戦のあとだったりしたのです。


 駅から旧道を渡り,住宅街を抜けて,バイパス脇の歩道を歩いていく。
 ディーラ脇の側道に入り,産業道路を跨ぐ歩道橋を上がりきると,特徴的な照明灯のデザインやサブ・グラウンドのグリーンが目に入る。チケット・チェックを前にMDPを購入し,西入場口から薄暗さが不思議と印象に残るコンコースへと進む。


 どこか,いままで通りのルーティンでありながら,同時に「懐かしさ」に似たようなものを感じてしまった。そんな感情こそが,「時の流れ」を意識させるものかな,と思うのです。


 5年前には,“The ONE&ONLY”の場所でした。


 喜怒哀楽のすべて,中でも「怒」の要素や「哀」の要素が残念ながら多く積み重なっていった場所でもある。それだけに,ひとつひとつの勝利が重く感じられもした。安堵感も強く感じられる喜びであったり,目の前で展開されているゲームを実際には落としもしたのだけれど,ゲーム終了から若干のタイム・ラグを経て訪れた歓喜もあった。確かに「喜」や「楽」は何らかの重みを持っていた,と感じます。


 そんな場所が,緩やかに,でも確実に主役の座を中野田へと譲っている。


 駒場周辺の雰囲気は,何となくガンナーズのかつての本拠地・ハイブリーあたりを感じさせるものがあります。いまの事実上の本拠地,中野田のあたりはまだそんな雰囲気を備えるには至っていないけれど,いずれ駒場周辺のように,“街に寄り添ったスタジアム”という風景を見せてくれるかも知れません。


 確かに,主役の座を降りた駒場にはいろいろな感情があるけれど,それ以上に埼玉スタジアム2002が“ホームらしさ”を身に付け,着実に歴史を積み重ねていく。その過程をリアルタイムで見届けることができている。ある意味,これ以上ない幸運かな,と思ったりするのです。