理想と伝統の齟齬。

理想を高く掲げるだけでも,さりとて現実をただ追認し続けるだけでもチームをポジティブな方向へと導くことはできない。


 だからと言って,自分たちの立ち位置を常に確認しながら進化の方向性を確認していかなければ,いつか方向性を見失うことにもなる。


 歩くように1歩を踏み出し,常に立ち位置を変化させ続けるのではなく,踏み出した足へもう片方の足を引き寄せるまでの時間差を利用しながら,自分たちが進もうとする方向性が正しいものなのか,視野を広く保ちながらチェックしていく。ボールをホールドしながら,パス・コースを切り開こうとしている,あるいはドリブルを仕掛けるタイミングをはかっているバスケットボール・プレイヤーのように。


 ・・・ちょっと謎かけのようなマクラですけど。


 フットボール・クラブの監督さんに求められる資質とは,「半歩先を常に意識すること」なのかな,と思うところがあるのです。


 理想を持っていることは当然良いことです。哲学もないような監督さんでは,ちょっと困りものでもあります。ですが,その哲学,どこまで自分が引き受けたクラブで実現できるか,というのは別問題だと思うわけです。


 何より現有戦力が持っているパフォーマンス,ポテンシャルを100%引き出すためのパッケージを徹底的に追求することの方がはるかに重要であるはず。そして,自分たちが主戦場とするリーグでどのようなポジションへとチームを導いていきたいか,を冷静に見極め,その中で戦術的な変更点を洗い出す。例えばJFLからディビジョン2へ,あるいはディビジョン2からディビジョン1へとプロモートした場合には,必要最低限のモディファイはどうしても必要になってくるように感じます。そのときに,自分たちが培ってきた“ストロング・ポイント”を手放す方向性でのモディファイは何があっても避けなければならない。チームとして,「戻るべき場所」を手放してしまうことにもなりかねないからです。


 リーグ・テーブルで下位に沈んでいる,あるいはリズムを失いかけているクラブは,どこかで自分たちが「戻るべき場所」を見失い,自分たちのクラブが持っているはずの“ストロング・ポイント”を忘れかけているのかも知れない,と感じます。


 サッカー・マガジン誌(10月27日号)の企画記事で,埼玉新聞の河野さんが岡野選手と坪井選手にインタビューをしています。その中で,岡野選手が示唆に富むコメントを残しています。大ざっぱに意味をとれば,無理に自分たちが持っているスタイル(当然,相手にとっては脅威となる特徴)を崩すということは,単にどこかのチームを模倣するようなものであり,自分たちが持っている武器をみすみす手放すことにもなりかねない,ということなんですが,不調にさらされているクラブは概して,そのスタイルをピッチからダイレクトに感じることが難しくなっているような気がします。


 表面的に見れば,戦術は進化をしているように見えても,良く見ればクラブが持っている伝統的な戦い方はDNAのように継承されている。攻撃的であることを標榜しているはずのアーセンにしても,率いるガンナーズを実際に見れば,“1−0”のリアリズムを徹底していたころのガンナーズと決して歴史的に断絶していない,同じ香りをどこかに感じることができるはず。そういう香りが薄れてしまうと,チームはネガティブな流れにさらされることになるような気がします。


 シーズン終了を待たずに監督交代,という事態を迎えるクラブは少なくありません。監督さんそれぞれが持っている理想と,クラブがそれまで培ってきたスタイルとが食い違いを見せはじめると,ポジティブな循環をしていたものが逆回転を始めてしまう。そんな感じがします。