日航機事故から20年目に思うこと。

今回は,まったくフットボールとは違う話をちょっとだけ。


 こどものころ,1回は空を飛ぶヒコーキに憧れを持ったことがあるのではないか,と思います。


 多分,当時空の旅を経験していなかったからだと思うのですが,私は大きな旅客機というものには興味が持てず(身近な感じがしなかったからでしょう),エアロスバルやセスナなどプロペラ式のヒコーキに憧れを持っていた時期があります。図鑑で見た機体が,空を見上げれば見ることができた,というのも大きいような感じが,いまにしてみればあるようにも思います。


 当時からかなりのクルマ好きだった私としては,プロペラが風を切っている音と,レシプロエンジンとのハーモニーに惹かれていたのかも知れません。空の旅を経験していなかった私でも,(多分,ちょっと変わってはいたと思うけれど)ヒコーキに漠然とした憧れを持っていたように思いますし,こどものころからヒコーキの旅を経験したひとならば,もっと空への憧れは具体的な形を持っているかも知れないな,と思います。


 そして,そんな「こどもたちの憧れ」を色褪せさせないために,本当に必要なのは裏方の努力かも知れないな,といまは思っています。


 顔見知りではないかも知れないけれど,間違いなく誰か,いろいろな日常を過ごしている誰かがそのヒコーキの座席に座る。そして,そのヒコーキを仕事場とするひとたちも間違いなくいる。そんなひとたちに向かってベストを尽くしていく。


 最も可能性の高い事故原因を見る限りでは,機体修理に関する不手際,かつてランディング時にダメージが加わった圧力隔壁,その修理段階で何らかの問題があったことが最終的にヒコーキを制御不能な状態にまで追い込んだ,ということになりそうです。そのときは,十分だという判断があったのかも知れない。それでも,複数の目がその修理箇所に光っていれば。何かが違っていたかも知れない,と思わずにはいられません。


 「通常通り」ということがどれだけ大事なのか。本来続いていくはずだった日常がいきなり断ち切られる。そんなことが,こどもたちの憧れであるはずの乗り物であってはいけない。そんなことを思っています。