欧州CL決勝トーナメント - 準決勝第2戦。

恐らくは,“ビッグネームによるファイナル”,チェルシー−ACミランというカードを見たかったひとの方が多かろうと思うです。


 そういう意味で,「半分満足」という人が多いのだろうな,と勝手に想像しているのですが,私はカウンター・パートに期待していました。カップ戦にしっかりとチーム戦術をアジャストできれば,物理的条件を一定程度まで跳ね返せる。そんなことを示してきたクラブのように感じるからです。


 そして,その期待感に十分に応えてくれた戦いぶりではなかったか,と思っています。


 一方のクラブは積極的にゲームを支配し,攻め立てながらもロスタイムの一瞬の隙を突かれるかのようにアウェイ・ゴールを奪われ,決勝進出への道を断たれる。もう一方のクラブは,イタリアの雄を敵地で抑え込んだスタイルをホームでも再現し,現実主義に徹することで決勝への切符を手にする。確かに明暗は分かれたけれど,「カップ戦」の魅力をどちらのゲームも示してくれているように思っています。


 欧州チャンピオンズリーグも準決勝第2戦がアンフィールドフィリップス・スタディオンで行われ,決勝進出チームが決まりました。そこで,第2戦2ゲームを見ていくことにします。


 まず,フィリップス・スタディオンで行われたPSVアイントホーフェン−ACミラン戦から見ていくことにしましょう。


 ファイナル・スコアからはじめますと,1,2戦合計で3−3であります。ありますが,ACミランが“アウェイゴール”をPSVから奪っていることで決勝進出を決めています。PSVアイントホーフェン−ACミラン戦を考えるにあたり大きな鍵となったのが,CL独特のルールである“アウェイゴール”であります。


 スタディオ・サン・シーロでの第1戦,ACミランにゲームをコントロールされ,得点を奪うことのできなかったPSV。第2戦においては,少なくとも2点以上を奪取し,同時に失点しないことが決勝進出への最低条件でありました。そして,少なくともロスタイムまでは,その最低条件をクリアできるように思えました。


 ゲームへの入り方は明らかにPSVがミランを圧倒していたように感じます。積極的にゲームをコントロールする,という明確な意図を感じたのはPSVサイドであり,ミランはむしろ「受けて立つ側」に追いやられていたように感じるのです。前半立ち上がりの9分,それまでもミランの中盤は彼を捕まえられずにいたのですが,朴智星に先制点を奪われたのは,PSVが主導権を握っていたことを示すものではないか,と思います。コメンタリーの風間さんも指摘していましたが,恐らくはミランが仕掛けたいことをPSVが先手を取るように積極的に仕掛けた,ということではないかな,と。中盤でのパス・ワークは明らかにPSVの方がスムーズであり,ミランはパッシブに構えざるを得ない。そんな前半だったように思います。後半も基本的には主導権を握り続けるPSVに,リズムを取り戻しきれないミラン,という図式が続き,65分にはコクーの追加点によって1,2戦合計のスコアを2−2のイーヴンにまで戻します。しかし,後半ロスタイム,カカのクロスに合わせたアンブロジーニにゲームの帰趨を決定付けるアウェイ・ゴールを決められ,コクーの自身2点目のゴールもあったものの,準決勝敗退,という結果に終わる。


 “アウェイゴール”という要素が勝者と敗者を残酷に分け,完全限定のイスタンブールへの招待状をACミランにさらわれることにはなったけれど,第2戦の戦いぶりは十分にACミランを苦しめたし,僅差を勝ち抜く「典型的なカップ戦」の文法に忠実な戦いぶりだけではない,エールディビジ覇者に相応しい分厚い攻撃を展開してくれたことに対して,敬意を表したいと思っています。


 また,ゲームへの入り方を誤ってしまうと(PSVの第2戦に賭ける高いモチベーションを真正面から受け止め,相手の仕掛けを受けて立つ立場に立ってしまったことがその内容になるように思います。),どんなチームであってもゲームの主導権を奪い返すまでに多くの時間を費やしてしまう。最悪の場合,リズムを取り戻せないままにゲームを終了してしまうことさえあり得る,ということを痛感しました。・・・どこかのチームでリーグ戦序盤,そんなことを見せられたような気がするようなしないような。


 話戻しまして。


 次に,いつもならば最初に取り上げる“イングランド絡み”の第2戦を見ていきますと。


 第1戦をスコアレス・ドローで折り返したリヴァプール。第2戦はゲーム立ち上がりから積極的に得点を奪いに行く一方で,逆襲の機会を冷静にうかがっているであろうチェルシーにアウェイ・ゴールを許さないこと,というタスクが課せられていたように感じます。ゲーム・スタッツは,この一見矛盾するタスクをリヴァプールが確実にこなしたことを示している,とも。


 ゲーム開始直後から攻勢をかけたのは,ホームであるリヴァプールであります。3分,ジェラードからのボールに反応したバロスがキーパーと交錯して倒されますが,主審はPKを認めず,こぼれ球に反応したルイス・ガルシアがボールを押し込む。一瞬,チェルシーディフェンダーゴールラインを完全に割る前にクリアしたようにも受け取れたが,主審,線審はゴールを認め,貴重な先制点をゲーム序盤に奪うことに成功します。


 このゲームにおいて注目すべきは,スタディオ・デッレ・アルピユヴェントスを封じた鉄壁の守備をアンフィールドで完全に再現してみせたこと,でありましょう。前半,チェルシーに許したシュートは3。後半,猛然と反撃に転じたチェルシーに防戦一方とはなるものの,守備ブロックが決定的な破綻を見せることはなく,前後半通じて12本のシュートを許すものの,ゴールの枠を的確に捉えたものは1本にとどまり,その貴重な枠に飛んだシュートもキーパーに阻まれる。ゲーム全体としてのボール支配率から見ても,チェルシーにゲームを支配されていたことが見えてきます(チェルシーが59%であったのに対して,レッズの支配率は41%にとどまる)が,ゲームを巧妙に“コントロール”する,という部分では,決して主導権をチェルシーに渡すことはなかった,と感じます。途中,観客のピッチへの侵入があったことでインジャリー・タイムが6分と長くなったものの,レッズはアクシデントに際しても決して集中を途切れさせることはなく,前半序盤に挙げた先制点を守りきる形でリヴァプールがホームゲームをものにします。結果,1,2戦合計1−0で,リヴァプールイスタンブールへの切符を手にします。


 リヴァプールが非常に現実主義的な戦略によってホームでの第2戦を戦い抜いたことに対して,しっかりと評価すべきだろう,と思っています。


 「カップ戦」はある意味,非常に現実主義的な側面がある,と思っています。「結果」を出さない限り,決してゲームを続けていくことはできません。そして,ゲームを続けていく中でカップへの道筋が次第に明確に像を結んでいく。そんな世界だろう,と思うのです。


 リヴァプールの第2戦の戦いぶりを「退屈」と評価してしまうことは簡単なことでしょう。


 ただ,準決勝という舞台にまで進んできたのであれば,カップ奪取を現実的な目標として視野に入れておくべきだ,とも思うのです。そのために,どのような戦略を採ることがチームにとって最良なのか。指揮官の思考はその一点に集約されると思います。また,ピッチ上の選手たちが高いレベルで守備を安定させ,90分間巧妙にゲームをコントロールできる。つまりは,指揮官が描いたゲーム・プランをピッチ上の選手,リザーブ・メンバーが深く理解し,高いレベルでそのゲーム・プランを実行する能力があることを存分に示したということも十分に評価したい。そう思うのです。


 最後に,“コップエンド”(=改装後の・・・スタンド,という呼び方は歴史あるイングランドの競技場を表現するに相応しくない。そう思います。)に触れておくことで,このエントリを締め括ることにします。


 やはり,アンフィールドには「何か」が棲んでいる。敵にとっては「悪魔」かも知れず,レッズの選手たちにとっては「妖精」であったり,「女神」であったりするのかも知れません。彼ら(彼女たち)を呼び込む大きな要素が,コップエンドに代表されるレッズ・サポーターの「熱さ」であり続けていることを再確認しています。忘れてはならないこと(フーリガニズムによって,欧州への道を閉ざされてしまったこと)もあり,紆余曲折はあったけれど,やっと彼らの「熱さ」に相応しい舞台に帰ってくることができたか,と思います。