敬意と闘志。

決して矛盾するものではないように,思うのです。


 「相手に対する敬意」は決して外部(実際の対戦相手であるチームなど)に向けられるだけのものではない。自らに向けて,という意味合いの方がはるかに重要であるように感じられる。端的に言ってしまえば,「相手への敬意」こそが「100%ファイトすること」への必須要件ではないか。


 前任指揮官が常套句にしていた「前半は寝ていた」という意味を読み解けば,相手にゲームの主導権を握られて初めて戦闘態勢へのシフトチェンジがはじまる,ということになるのだろうが,C大阪戦はその過去の悪癖を引き摺った典型であったように思う。


 自分たちのスタイル,能力に自信を持つことは決して否定されるべきものではない。


 むしろ,必要不可欠な要素と言っていい。しかし,それが「過信」にまで行き着いてしまえば「相手への敬意」は忘れられ,ゲームに臨むときの大前提と言うべき要素が欠落してしまうように思われる。自らが持つ能力を100%引き出すことなしに(より正確に言えば,相手を見下していることで心理的にリミッターがかかった状態で)ゲームに臨み,相手にゲームの主導権を握られることで(ケースによっては失点という物理的なビハインドを負って)自分たちが心理的に追い詰められるまで100%の能力を出し切れない。そして,そんな状況に一旦陥ってしまえば焦燥感が今度は闘志を空回りさせる,という悪循環を生んでしまうように見える。


 「過信」が「相手への敬意」を失わせ,相手への敬意を失ったチームは100%の能力を決して出すことなく,あたかも「タガ」が外れたかのような印象を見る者に与える。読売新聞の記事埼玉新聞の詳細記事をはじめ,各スポーツ・メディアの論調はC大阪戦だけを見る限り,残念ながら否定できない。


 だからと言って,シンプルに精神論に帰結させるべき問題だけでもないことは,中盤でのプレッシャーが弱まってしまっていること,ファースト・ディフェンスが曖昧になってしまっていることなど「戦術面」の問題もあることで示されているように思えます。また,3バックの裏を突かれることに対する対策,という昨季からの課題も積み残しになっているし,今季の問題点はこの部分にあるようにも思えます。


 「戦術面」の修正が「心理面」に好影響を与えてくれることを期待したいところです。