For the Good of the Game.

マリーシアフットボールの一部である。確かにそういう部分もある。


 むしろ,冷徹な現実である,と言う方が正確かも知れない。


 ただ,フットボールに関わる者すべてが同じ思考である必要はないだろう,と思う。むしろ,冷徹な現実に実際のフットボールが支配されているならばなおのこと,理想を高く掲げたFIFAのスローガンである,“For the Good of the Game.”を心に留めておきたい。この点を明確に指摘してくれたジェレミー・ウォーカーさん,ならびに1124号に彼のコラムが掲載されているメールマガジン「スポマガ−WorldSoccer」には,大事なことを思い起こす機会を与えてくれたことに感謝したいと思います。


 ・・・あいさつでしたね。最近書かずに終わってるような。ホント,ぶしつけですいません,なErnestです。


 さて,続けますと。


 我が愛すべきクラブが去年からスローガンを「速く,激しく,外連味なく」としたことは,現実主義的なフットボールに対する挑戦であるように感じられます。また,FIFAのスローガンとも共通する何かを感じるところです。であればこそ,あの場面では自重してほしかった。


 「相手と同じ土俵」に乗っての激しさを望んでいるわけではない。むしろ,プレーで存分に浦和のスタイルを表現してほしかったのです。プレーの激しさの結果として,カードをもらうことについては何も言うつもりはありません。レアル・マドリーが息を吹き返した要因にしても,プレーに「激しさ」や「がむしゃらさ」が戻ってきたことに求められるだろう,と思うから。でも,相手の挑発に乗ってしまうのは,無意味です。選手個人,チーム双方にとって不幸しかもたらさない,と。


 振り返れば,あのクラブの挑発に乗ってしまったのは,自分も同じかも知れません。その場にいて,明らかに我を失ったと思います。思えば,スタジアムに怒号が渦巻いてしまうことは敵の「思うツボ」だったに違いない。焦りが焦りを呼ぶ。そして,全体が浮足立つことを狙っていたのだとすれば,その思惑に引っ掛かったも同然だろう,と。


 すでに目指すスタイルは明らかに違っています。そして,その方向性は間違っていない,とも思うところです。ならば,あのような「現実主義」は黙殺してやろう。挑発されたところで動じない,と。


 あのゲームに立ち止まっている暇はない。シーズンを通して,ヤツらのやり方に対する解答を示してやればいい。