魂はあるか。

まずは,↓をご参照あれ。


 大黒弾!ロスタイムに劇的勝利!/北朝鮮戦試合レポート(Football Weekly)
 トピックス&コラム - 「ジンギスカン」は聴こえたか?(スポーツナビ)


 というわけで,今回はゲーム以外のところでちょっとエントリを上げてみよう,と思っています。Ernestです。


 確かに,ワールドカップ「本戦」は祝祭空間と言えば,言えるかも知れません。
 知れないけれど,最終予選を通過しなければ,その祝祭空間にたどり着くためのチケットは獲得できません。この,単純だけど非常に重い事実を,すっかり多くの観衆は忘れてしまったのか。それとも,知らない世代が増えてきているのか。


 ちょっと長くなるので,ここでたたみます。


 個人的には,最終予選に「圧倒的な勝利」だとか,「大量得点差での快勝」などという言葉は不必要だと思う。ゲーム内容の伴った快勝,などを期待するのであれば,キリン・チャレンジなどに代表されるインターナショナル・フレンドリーマッチを観戦されることを強く薦めたい。


 ワールドカップ最終予選は,恐らくはその対極に位置するものではないか。


 「結果」だけが残酷なまでに厳しく求められる世界,と表現できるかも知れない。ともすれば,薄氷を踏むような勝利を積み重ねることになるかも知れない。その,紙一重の勝利,あるいはドローゲームや(考えたくはないが)敗戦を積み重ねた結果として,本戦への切符が獲得できるのではなかったか。


 完全限定の本戦への切符。それを手にするための要素は,恐らく非合理的なものだろう。そんな「非合理的なもの」を積極的に呼び込むような雰囲気ではない,と正直感じる。
 フットボーラーが本戦出場をかけて必死に戦っているのであれば,それを見つめる俺達だって,同じ姿勢でいるべきではないのか。コール,チャントだけでもなければ,ブーイングだけでもない。歓声,どよめきすべてに気持ちを乗せよう。それがスタジアムを包み込むかのような“POWER”になるのだと思う。


 最後に,1点だけ。


 今回の対北朝鮮戦で浮上してきた問題点,修正を要するポイントは中東勢との対戦においてもバイタルなものになるかも知れない,と感じています。恐らく指揮官だってどういう修正をするべきか考えているだろうこのことに関しては,代表が再招集された時にゲーム・レビューを含めて触れてみたいと思います。